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生駒山のこと

生駒山地(連峰/山脈)についてはこちら 

(地図・写真はクリックで拡大できます

生駒山の生駒全体の地形におけるその位置とそれをとりまく地理環境・・・生駒の地理ご参照

生駒山は、生駒山地(連峰/山脈)の全部または部分をいう場合、その主峰wikipedia) とその近くの峰々をいう場合、標高642mの主峰のみをいう場合、の3通りがありますが、このサイトでは、主に生駒市域の生駒山地のことについて記載します。> 

以下、<問〇〇>とあるのは、生駒検定<全国版>の問の番号です。

古来、生駒山は、膽駒山、射駒山 、伊駒山 、伊古麻山 、伊故麻山 、生馬山 、往馬山などさまざまな字があてられてきたが、語源は、縄文語(現アイヌ語)で「鹿がそこにいる」山・・・<問17>「生駒」の語源・由来ご参考

◎日本神話でイザナギ・イザナギの男女2神がつくった豊秋津洲とよあきつしまは生駒山のこと・・・<問15>神話の里(その2)~「国生み神話」の舞台~ ご参照 

◎生駒山は、生駒を舞台とする日本神話(生駒の神話)の舞台・・・<問1>神話の里(その1)~生駒神話(生駒を舞台とする日本神話)~  

   神日本磐余彦天皇カムヤマトイハレヒコノスメラミコト(神武天皇)「塩土の翁しおつちのおじに聞くと『東の方(引用者注 : 生駒山の向こう側)によい土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟いわふねに乗って、とび降ってきた者がある』と。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、饒速日にぎはやひというものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる。」(日本書紀<現代語訳> より)

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生駒山のてっぺんから見た大阪平野の夜景(→右写真<クリックで拡大/以下同じ> )<この夜景が広がるところ、かつては海原であった>

司馬遼太郎「城塞」生駒山記述部分抜粋.pdfより

29   司馬遼太郎さんが日本のどこよりも好きだった摂河泉の大眺望(→右写真)<この平野が広がるところかつては海原であり、この写真を撮ったあたりで、生駒山に向かって進攻してくるイワレヒコ軍をナガスネヒコは睥睨へいげいしていたのではないか。>  この写真は、この阪奈道路の地図に「摂河泉の眺望」と印字したところ(その写真)で撮影(ここは車を止める場所がなく、撮影チャンスは後続車両がない一瞬ですが、徒歩道があるので、それを利用すればゆっくりと撮影できます)

76maid-in-osaka_20200108182502 ◎トンボの目線の高さから見た大阪の街並み<出典:この記事.jpg(→右図)

◎生駒山の謎・・・<問2>謎多き山「生駒山」<解説に、古代日本における生駒山の不思議と謎あり>ご参照

◎生駒山地のほぼ中央を東西に横切るのが暗越・・・<問13>歴史を見つめてきた暗峠」ご参照

生駒山地を越えて河内(現大阪府)と生駒谷・平群谷を結んでいたのが生駒山越の峠道 、そのいくつかと結ばれていたのが、矢田丘陵を越えて生駒谷・平群谷と鳥見谷を結んでいた平群の山越(矢田丘陵越)の道

◎作品中の生駒山

 ・古来、生駒山は人々から愛され、和歌や俳句に詠まれてきた・・・<問27>古来、生駒山は和歌や俳句に詠まれてきた。 ご参照   うたまくら ゆかし生駒山暗がりの道の句とふみ <共に、生駒市誌より>

 ・生駒山を舞台とする小説・・・<1919(T8).1.1・1.15>「赤い鳥」(1・2月号)にて、生駒山も舞台とする、芥川龍之介作「犬と笛」が発表される・・<問23>短編小説「犬と笛」ご参照

 ・司馬遼太郎「城塞」生駒山記述部分抜粋.pdf

 ・暗峠にかかる小説や俳句については、<問13>歴史を見つめてきた暗峠」ご参照

ナガスネヒコ、東征軍が河内湾に侵入したことをいち早く知ることができた。古代、生駒山には高見の烽(とぶひ)が設置されていた。生駒山には、南北朝時代に見張り場があった。 生駒山には、江戸時代から近代に至るまで「旗振山はたふりやま(米相場を旗を振って伝達するための中継点の山)」があった。今日でも、生駒山上にはテレビ塔が林立している。⇒このように、古代より、生駒山は、遠近の情報を収集・伝達するステーションでもありました。そうであった理由は、上掲の2つの写真を見ればわかります。 

生駒出身の作家で、生駒北部のまちを舞台にした小説「ペンギン・ハイウェイ」(<問22>小説「ペンギン・ハイウェイ」 ご参照)の作者の森見登美彦さんは生駒山をこのように語っています⇒その1その2「太陽と乙女」<抜粋>より)

 森見さんは、浪人時代、大阪の予備校(難波の代々木ゼミナール)からの帰りに生駒山を歩き回ったそうです(ご参照.pdf照)。   森見さんのおすすめスポットは、古代の雰囲気が漂う生駒山と大和文華館だそうです(ご参照.pdf)<司馬遼太郎さんの「城塞」.pdfの冒頭部分を読むと、生駒山が古代の雰囲気を漂わせている理由がわかります>。

40 右の写真は、森見さんが育った場所にある真弓塚(この地図ご参照)のすぐ下から見た生駒山です(劇場アニメ「ペンギン・ハイウェイ」の場面・美術設定等 VS その実物写真より引用し、下の文を追記)。森見さんはここから見た生駒山を見るのが好きで、写真引用元にもあるように、森見さんの小説ペンギン・ハイウェイを原作とするアニメ映画「ペンギン・ハイウェイ」の舞台背景となっています。  

◎生駒山東麓に伝わる伝承・・・<問21>生駒伝承(解説に、生駒伝承「神功皇后と鶏」と「生駒の産土神の鶏追とりお)掲載 )ご参照

◎生駒山東稜ゆかりの歴史群像  

  ・蘇我入鹿は645年の乙巳の変で倒されたが、その前々々年の642年に入鹿は山背大兄王やましろのおおえのおうを攻撃し、王は生駒山中に逃げた・・・<問24>生駒ゆかりの諸群像の(13)ご参照。なお、山背大兄王が隠れたとされる生駒山は実は矢田丘陵のこと、との説があります(ご参照ミラー)。  

  ・行基・・・<問3>生駒を愛し今も生駒に眠る偉人ご参照

  ・忍性・・・<問24>生駒ゆかりの諸群像(8)ご参照 

◎生駒山東稜の宝山寺

  ・伝承によれば、655年、役行者が、山背大兄王が逃げ込んだあたりの生駒山中を修験道場とし、ここに都史陀山大聖無動寺としださんだいしょうむどうじを建て、時が過ぎ、1678に湛海律師がこのお寺を再興して、歓喜天を祀り、寺名を宝山寺と改名した。 

  ・1918(T7)年>泉鏡花作「紫障子」発表。この作品の中で、宝山寺の浴油供よくゆくが登場・・・<問24>生駒ゆかりの諸群像の(7)ご参照

  ・<1951(S26).9~1952(S27).11> 宇野浩二作「芥川龍之介」が「文学界」に連載された。1953(S28).5 刊行。この作品によると、芥川龍之介が、直木三十五、宇野浩二と共に宝山寺方面に遊行した・・・<問24>生駒ゆかりの諸群像の(2)ご参照

  ・<1981(S56). 8>宝山寺も舞台とする、映画「男はつらいよ(第27作)~浪花の恋の寅次郎~」公開・・・<問10>「男はつらいよ」生駒の巻ご参照

◎生駒山には、日本初のケーブルがあり、その終点にある生駒山上遊園地には日本最古の飛行塔がある・・・<問25>生駒の全国初・全国先駆け・全国一・全国唯一・全国最古の(1)-③ご参照

◎生駒山上遊園地や宝山寺はロケ地になっている・・・生駒市のロケ地ご参照

◎生駒山の自然

  ・二ホンリスが生息・・・<問6>息づく野生動物ご参照

  ・不思議な「旅する蝶」アサギマダラが、旅の途中で休息する・・・<問5>不思議な「旅する蝶」ご参照

◎<1930年代前半>ブルーノ・タウトが、生駒山嶺小都市計画を立案・・・<問24>生駒ゆかりの諸群像の(1)ご参照

生駒山は火山か?

◎生駒山をくぐるトンネル・・・<問25>生駒の全国初・全国先駆け・全国一・全国唯一・全国最古 の(1)の ⑨ ご参照

◎生駒山上遊園地(スカイランドいこま )の駐車場はかつて「生駒山滑空場」だった・・・ご参照<リンク>  

記紀(古事記・日本書紀)に記された生駒山(既述以外)

 ・夏五月一日、大空に竜に乗った者が現われ、顔かたちは唐の人に似ていた。油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方から、生駒山の方角に空を馳せて隠れた。正午頃に住吉の松嶺まつのみねの上から、西に向かって馳せ去った。<日本書紀 斉明紀>

◎古書に記された生駒山

 ・「住吉大社神代記」(成立期不明)の「胆駒神南備山いこまかんなびやま本紀」・・・「(生駒山の)四至(境界)、東限胆駒イコマ川(竜田川)、竜田公田(不詳)。南限賀志支利カシキリ坂(不詳)、山門ヤマト川(大和川)、白木シラキ坂(不詳)、江比須エビス「白鳥伝説」の上巻P.210をご参照)墓。西限母木オモノキ里公田(枚岡神社恩地神社あたり)、鳥坂トサカ里(高井田)。北限饒速日山(不詳)」

 ・「続日本紀」(794年完成)・・・平城京から見て生駒山は、東の春日山、北の奈良山と共に、西の鎮めの山として「三山鎮を作」す。  

◎ご参考・・・ 生駒山の位相トポロジー.pdf <リンク> / <問26>生駒の歴史  / 生駒山上遊園地・生駒山 トリビア

◎現在生駒山麓公園のあるところには、かつて、いこまテックという遊園地があった(Wikipediaご参照)。

この記事大阪電気軌道デボ1形電車のwikipedia)に生駒山頂上付近の近鉄奈良線の新生駒トンネルの上辺りのとある広場にデボ1形が放置されている」とある「とある広場」は、ここです。なお、定期的に塗装塗り替えされているようで「放置されている」というより保存されているようです。ただ、このような尾根の上のどこにあるかわからないような、一部の熱心な鉄道マニアが探しながらしかこない場所に保存されている理由は不明(謎)となっています。「とある広場」の位置は、このページに記載の別図C.jpg生駒駅発着の生駒山登山道)の<注14>のところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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