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生駒山地のこと

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生駒山地(連峰/山脈)生駒全体の地形におけるその位置とそれをとりまく地理環境・・・生駒の地理ご参照  

 ➀生駒山地(wikipedia)は、北端は淀川にせまる男山おとこやま丘陵(甘南備かんなび丘陵の北端をなす/主峰の男山<標高143m>山頂には石清水八幡宮あり)をなし、南端は大和川(この川で南の金剛山地と区切られる)に至る。

 ②山容は、標高642mの主峰wikipedia)付近は蓋形をなし、その北側につづく北嶺は平均320mの嶺をなし、清滝峠(247m)を経て飯盛山付近で北東に張って淀川に至り、南側につづく南嶺は、455mの暗峠で高さを減じ、522mの大原山.jpgをはさんで、鳴川峠(402m)からは平均450~430mの嶺をなし、十三峠(431m)、高安山(488m)・信貴山(437m)を経て大和川に至り、そこに亀の瀬渓谷をつくり、それをはさんだ南側の金剛山地に連なる。

 ④この画面の山岳マップから生駒山地の航空写真をみることが出来ます。

 ⑤3Dの生駒山地・・・飯盛山~信貴山ヤマレコ<18. 4.14>より)/私市~恩智峠ヤマレコ<19. 3.31>より)/信貴山~私市」ヤマレコ<11.12. 3>より) /生駒山~信貴山」ヤマレコ<18.12. 2>より)/同左ヤマレコ<18. 4. 1>より)/飯盛山~鳴川峠ヤマレコ<19. 8.12>より)

 

)古くから、生駒山地を東西に越える峠道である生駒山越の(峠)道いこまの古道ご参照)が多くつくられてきた。 

    生駒山地東側中腹を南北に走る道として、「宝山寺の湛海さんから頼まれて、鬼取村の庄兵ヱが荒れ果てていた宝山寺から鳴川の千光寺までの道を整備した」との言い伝えが残っている庄兵ヱ道生駒南北の古道ご参照)もつくられた。

 

生駒神話ゆかりの古蹟

 北から順に、哮峰 、磐船神社饒速日山鳥見とみ旧跡 、があります(生駒山地の東側のみ)生駒の神話ゆかりの古蹟ご参照> 。 

 

生駒山地の城塞・・・生駒の城塞ご参照

 

)生駒山地にまつわる話

 ①北部の山中に奈良県・大阪府・京都府の1県2府の境(大和・河内・山城の三国境みくにさかい)がありますが、その場所とされているところがなぜ2つ存在するのかの答がいまだに出ていません<大和・河内・山城の三国境の謎(疑問)ご参照)。

 ②本能寺の変が起こったとき、徳川家康は、当時滞在していた摂津・和泉の国境に位置する堺から河内の国飯盛山西麓を経て、本国三河の国岡崎城に命からがら帰還した際に三国境を越える天王道てんのうどう(現生駒市傍示~現京田辺市天王)走り抜けたとの説も有力です〔生駒検定<全国版><問14>歴史が息吹く生駒の古道の(2)ご参照〕

(6)ご参考・・・生駒山地縦走路 生駒山のハイキングマップ YAMAP (こちらの地図の方が分かりやすい?) ヤマレコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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