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生駒の神話と天皇制  

(1)生駒の神話のストーリーの1つは、ニギハヤヒに支持されてトミのナガスネヒコが保持していた内つ国(倭やまと/生駒山脈の東側/縄文時代以後、海湾→海水湖→塩分の残る湖と湿地の盆地→塩分の残る湿地にまず生い茂る葦原の湿地盆地→塩分の抜けた湿原盆地→葦原を切り開いてつくられた水田と湿地の盆地→水田と乾地の盆地へと変化した奈良盆地)を治める資格が、ニギハヤヒの支持がイワレヒコに移ることによりイワレヒコに移り、それによりイワレヒコは神武天皇として即位でき、その後の天皇は、ニギハヤヒの子孫であるモノノベ(モノノフともいう)が行う儀式(いつのころからか大嘗祭と呼ばれる)によりヤマトを治める資格を付与されてきた、というものです。

(2)トミのナガスネヒコ(単にナガスネヒコまたはトミヒコともいう) の出自・本拠地は内つ国の北西にあるトミ(鳥見)で、ナガスネヒコとイワレヒコ の2回目の戦いの場所は内つ国の南東にあるトミ(鳥見)でした。トミヒコは、トミを出自とするヒコ(彦/優れた男子)の意で、その妹の名のトミヤヒメはトミを出自とするヒメ(媛/優れた女子)の意です。2つのトミ(鳥見)の位置はこの地図.jpgご参照。なお、トミはトビ(が変化したものです(ご参照)。

(3)(1)は、天皇の権威(ヤマトを治める資格)は、天皇に先天的に内在するものではなく(=万世一系の天皇家の祖霊に源泉があるのではなく/そもそも万世一系の思想と体系を創作したのは藤原不比等で、「万世一系」の語は、慶応3年10月の岩倉具視の「王政制復古議」が初出< )、外付けであることを今に伝えています。外付けとは、ニギハヤヒの魂(=倭の魂/稲魂)が付与されることで、神武天皇以後の天皇は、いつのころからか大嘗祭と呼ばれるようになる儀式によってそれが付与されたことです。北条泰時の革命により天皇がヤマトを治める資格を失って象徴天皇制が始まる(ご参照)と、大嘗祭は形だけのものになり、日本の象徴という天皇の地位は、武士(モノノフ)の後ろ盾という外付けにより維持されていくようになりました。そして、明治維新政府と大日本帝国政府の天皇の政治利用(神格化させて国民の統治と戦争動員に利用)を経て、戦後、日本国憲法は天皇の政治利用を防ぐため、日本国民統合の象徴という地位は日本国民の総意に基づくという外付けによって天皇に付与されると規定したのです。

  <皇位継承の歴史的変遷・・・「当初は奈良盆地内の有力集団が王位を持ち回りで継承してきたが、6世紀前半の継体と欽明の両天皇のころから、有力豪族の推戴により大王家(天皇家)内部での血縁による継承に変わり、壬申の乱以後はは大王家内部で継承が決められるようになった。飛鳥時代末~奈良時代には、太上だいじょう天皇(Wiki)と天皇という権力の二重構造ができ、平安時代には天皇の母方の身内(藤原氏)が権力を握る摂関政治や父方の身内が権力を握る院政が展開。鎌倉時代の承久の乱以後、天皇の交代も幕府が左右するようになった。」<この記事.jpgより> 

     ご参考ミラー>  

(4)内つ国を奪いに来たイワレヒコは、天津神でありながらナガスネヒコに撃退され、2度目の戦いでも、あろうことかナガスネヒコの守護神である金色のトビに助けられなければ敗北した(ナガスネヒコの守り神「金の鵄」はなぜナガスネヒコが戦うのを止めたのか? ご参照)ことは、生駒の神話(生駒を舞台とする日本神話)の謎(疑問)の1つですが、その答が(3)です。

(5)なお、イワレヒコは 倭を奪ったのではなく、国譲りされたのです。  参考:生駒の神話(ナガスネヒコ物語)の真意(生駒の神話は里山誕生の過程を反映したもの)

 

☆この記事の相互補完記事⇒「長髄彦とイワレヒコの戦い」と「象徴天皇制」

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