« 古史古伝       | トップページ | 留意点    »

記紀について     

(5)記紀に記載の「大和王権がその由来と正当性を説くために創作された政治的神話」が信じられるためには、「地方の神々や共同体で口承されていた神話」を巻き込んでいく必要があった(ご参照.pdf)。

(4)記紀の二つがほぼ同時期に編まれたのはなぜか.pdf

(3)記紀・万葉は古代のムラ段階から継承してきた少数民族的伝統 : 自然と共生し節度ある欲望を生きる少数民族の文化は、自然破壊と欲望の開放という近代化の行きつく荒廃に対する最後の防波堤.pdf

(2)記紀同一視改める必要あり.pdf

(1)記紀の概要

  ①古事記…(略称「記」)その序によれば和銅5(712)年太安万侶によって献上された、現代に伝わる日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。原本は存在していないが、後世の写本の古事記の序文に書かれた和銅年及び月日によって、年代が確認されている。成立の経緯を記している序によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられているが、荻原浅男氏(小学館日本古典文学全集)は、「古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう」という。『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、天武天皇の命で編纂されていることから、勅撰と考えることも出来る。天皇と祭神を結びつける事により、天皇の権力の正統性を確立することを目的としていたと見ることも出来る。史料の上では成立過程や皇室の関与に不明点や矛盾点が多く、古事記偽書説の論拠となっている。<Wikipediaの文を基に記述>  ニュースの本棚 : 古事記1300年.mht

  ②日本書紀…(略称「書紀」「紀」)日本における伝存最古の正史で、六国史(古代日本の律令国家が編纂した6つの一連の正史のこと)の第一にあたる。舎人(とねり)親王らの撰で、養老4(720)年に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻、系図1巻。系図は失われた。なお、書紀によれば、推古天皇28(620)年に聖徳太子や蘇我馬子によって編纂されたとされる『天皇記』・『国記』の方がより古い史書であるが、皇極天皇4(645)年の乙巳(いつし)の変とともに焼失した。書紀は本文に添えられた注の形で多くの異伝、異説を書き留めている。「一書に曰く」の記述は、異伝、異説を記した現存しない書が書紀の編纂に利用されたことを示すといわれている。書紀では既存の書物から記事を引用する場合、「一書曰」、「一書云」、「一本云」、「別本云」、「旧本云」、「或本云」などと書名を明らかにしないことが多い。ただし、一部には書名を明らかにしているものがあるが、いずれも現存しない。書紀の編纂は国家の大事業であり、皇室や各氏族の歴史上での位置づけを行うという極めて政治的な色彩の濃厚なものである。編集方針の決定や原史料の選択は政治的に有力者が主導したものと推測されている。<Wikipediaより>

« 古史古伝       | トップページ | 留意点    »