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トミのナガスネヒコ<単に長髄彦(ナガスネヒコ/ナガスネビコ)または登美彦(トミヒコ/トミビコ)ともいう>について 

Q1. 長髄彦(wikipediaは、『記紀』『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』『東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし』などに登場する<これらの文献については、参考文献等をご参照>ものの、Photo明治に入って“逆賊”だと再認定されて以来、最近までほとんど研究されることなく「何者であるか?」が謎であった※が、生駒の神話(生駒を舞台とする日本神話)<映像で見る生駒の神話→その一場面(左が長髄彦軍・右が神武軍/クリックで拡大)>の主人公である「長髄彦」とは何者だろうか? <以下、信頼できる説>

   ※ 「これらの論者は、ただ一点重要なことを見逃しているのです。神武東征の際に河内の生駒山麓で頑強に抵抗した先住民とは一体何者であったのか、ということです。この点を不問にしているため、さまざまな重要な問題が不明のままに歴史の闇に葬りさられてしまっている。」<谷川健一「隠された物部王国『日本(ひのもと)』」 より>

 A1.「矢田山脈の如く長くのびた地形を長層嶺(ながそね)と呼び、そこに住む部族(引用者:縄文人)の長を長髄彦(ナガスネヒコ)と言い、鳥見彦(トミヒコ)とも呼んだ。」「長いすねの様な形-長背嶺―をした矢田山系一帯を支配していた実に強力な首長であった。」<生駒市誌

 A2.「鳥見谷にもいわば鳥見国ができ、その首長が神武天皇の頃では長髄彦」<富雄町史

 A3.「「生駒地域の首長だっただけでなく、饒速日命にぎはやひのみことの率いる邪馬台国連合の総大将であった」<村井康彦著『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて』(岩波書店).pdf

 A4.「6代目にして最後の大国主」<嶋恵「古代の地形から『記紀』の謎を解く」pdf

 A5.オオクニヌシノミコトの正当な後継者として、神武帝の侵入以前の大和の支配者」< 梅原猛「神々の流竄」> 「おそらく長髄彦は、縄文土着の民」<梅原猛「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」

  A6.「原住民(引用者:縄文人)の首長のナガスネヒコ」<谷川健一「白鳥伝説」 > 「大和地方の「登美(とみ)」におりました豪族」「ナガスネヒコというのは「スネの長い」異族の形容詞であったと思われます。「なかすね」、「中洲根」とも表現されており、日本列島の真ん中の美しい地味の肥えた大和を支配していた。」<谷川健一「隠された物部王国『日本(ひのもと)』」 >

 A7.銅鐸文化圏最大の豪族であり、同時に、銅鐸祭祀国最後の王(引用者:首長というべき)」<木村武俊「長髄彦の謎」.pdf

  A8.南北2つの鳥見とみ(登美とみ)は中洲なかす/ながす(大和)の入り口にあたる(この地図.jpgご参照)。この2つを抑えることで中洲(大和)を治めていた首長が鳥見(登美)彦・中洲根なかすね/ながすね(長髄ながすね/なかすね)彦であった。

    首長とは、「国家や政府というものをもたない人々の社会、つまり対称性の社会の指導者のこと<中沢新一「熊から王へ」.pdfの(P.136~)(P.193~)あたりをご参照>。

    なお、北の鳥見(登美)は長髄彦の本拠地であり、その守護神(金の鵄)の発祥の地であり、南の鳥見(登美)は長髄彦軍とイワレヒコ軍が再度あいまみえ、金の鵄が飛来したところである。

 A9.「長髄彦・・・・・銅鐸国家側の中心人物」<「古田武彦「古代通史」

 A10.長髄彦=卑弥呼の兄 」説<「邪馬台国=富雄川流域」説ご参照>

Q2.長髄彦(ナガスネヒコ/ナガスネビコ)の意は?<諸説あり>

 ①日本の古語には清音と濁音の区別がなかったのでナガスネヒコともナガスネビコとも言う。ナガスネヒコの元の名は中洲根彦という。中洲根彦とは、中洲(ナカス・ナガス/なかつくに=中心の国/倭=現在の奈良県)の根(ネ/根本・基礎)をつくった彦(ヒコ・ビコ/おおいなるひと・すぐれたひと)という意味を持つ(従って、長髄彦は、長い髄(脛/スネ)の彦(男性)という意味ではない)。

 ②『日本書紀』には「長髄は是邑の本の号(な)なり。因りて亦以て人の名とす」とある。これについて池田(末規)氏はナガスネは中洲根であり、中洲は大和、ネは大和島根のネであろうと言っている(引用者注↓)。『日本書紀』に神武の軍隊が「胆駒山をこえて中洲(うちつくに)に入らむと欲す」とあるが、この中洲をナカスとすればその中心になるのが中洲根ということになる。そこにいた異族であるので長い髄の強敵という名を奉られたのである。谷川健一「白鳥伝説」

 (引用者注)大和島は大和の国または大和地方のことで、「根(ネ)」は、日本古語大辞典(刀江書院)に記載の「根」の意味.pdfによれば、「敬称」「発音を便にする(語調を整える)ための接尾語」です。<例>垣根・杵根・岩根など。

  (参考)日本書紀の神武天皇紀の一節

     皇師勒兵、歩趣龍田。而其路狭嶮、人不得並行。乃還更欲東踰膽駒山、而入中洲。 <読み下し>皇師みいくさは兵つわものをととのへて、歩かちより龍田に趣おもぶく。而して其の路狭く嶮さがしくして、人並なみ行くことを得ず。乃ち還かへりて更に東ひむがしの膽駒山いこまやまを踰えて、中洲(ナガス・ナカス/なかつくに・うちつくに)に入らむ。

 ③長髄彦(ナガスネヒコ)と矢田丘陵

 ④(「長髄彦」とは 「長洲根(ながすね)彦」 という、やはり地形詞(引用者注:地形を示す名詞)なのである。あるいは、河内湾の湾入部(大阪城から南方まで、突出した 「長洲」になっていた。)や筑紫の志賀島のつけ根のところ(現在、つながっている)など、「長洲根」と称さるべき地形は、決して少なしとしないのである。その地の 勇者たちをしめす名称、それが「ながすねひこ」なのである。従って各地に生じうる名だ。<古田武彦「真実の東北王朝」>→長髄彦は、大和・河内にも日高見にもいた。筑紫にもいたかもしれない。記紀に登場する長髄彦は「大和・河内の長髄彦」であった。

  ⑤『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』<畑中友次氏著/大阪市立大学新聞会/57(S32).8> : 長曽根(長髄彦)は現代語に直すと中州(大和)根(川)彦(男子、英雄)の意。

  報告者:この説によると「ナガスネヒコは、大和を流れる川である富雄川流域地方の指導者」の意となるでしょう。

  ⑥語部かたりべの物語に現れる神・人は、その地の主ヌシ或は有力者であり、その名は、地名に性別を表す語尾(ヒコ・ヒメ)をつける事が多い(折口信夫「大倭宮廷の剏業期」.pdfの「鳥見彦・長髄彦」の項ご参照)ので、鳥見彦・長髄彦とは、鳥見(登美)・長髄(中洲根)の主・有力者の意であったのでは。

 ⑦「蛇神の呼称は数多くあり、トビ(トベ)・ナガ(ナガラ)のほかヤアタ(ヤワタ)・ミワ(ミイ)などが、後世になって混在したことも考えられる。長髄彦の名も、スネが長いというのが本来ではなくて、長=ナガ=蛇神の呼称であり、したがって古事記の登美彦(トミ・トビ)の名のほうか原型であったとおもわれる。妹をトミヤ姫とするのがその一証である。それが、トビもナガも、ともに蛇神の呼称であったゆえに混淆したのではなかろうか。」<生駒市誌

 ⑧日本の竜神信仰(竜を雨・水の神とする信仰)について述べた日本の竜神・竜王には「日本の竜神信仰においては中国伝来の竜と日本の水神・蛇信仰が習合しており」とあり、ここには「ナーガはインドで古くから信仰されていた蛇神」とあることから、古代の日本には「竜神=ナーガ(蛇神)」信仰があったと推測され、ナガスネヒコのナガの由来をそこに求めることもできる。「ナーガ(ナガ)=蛇神」については、トビ・トミ=ナガ=蛇神ご参照。

 ⑨中洲(ナカス・ナガス)とは水(海・川)の中に浮かぶようにして在る「洲しま=島」のことで、神世界と人間世界の境(中継地)であり、古代、海底であった大阪平野に浮かぶ島であった「生駒=豊秋津洲」もその1つであり、この地を中心とする一帯の指導者が「中洲根彦」であった。中洲根彦とは、中洲を中心とする一帯の彦(おおいなるひと=指導者)の意である。なお、根は、垣根・性根等の根とおなじく語調を整えるもので、中洲彦というより中洲根彦とした方が整った語調となるのでそうなった。そして、中洲根彦は表記されるときは長髄彦と表記された。

   参考:「もののけ姫」を読み解くでは次のように述べられている。「死にかけたアシタカをサンが連れていった場所、それは森の深部にある不思議な中洲(島)であった(引用者:シシ神の森の中洲.jpgのこと)。・・・・・そこは生と死の境目の島・・・・・。いわば、森の心臓部である。・・・・・中州は、水(神界)と地(俗界)のせめぎあう土地として神聖視されていた。中世に中州で市を開いた職人たちが多かったのもこのためと言われる。『古事記』のイザナギ・イザナミ神話でも、一面の泥海を矛でかき回して出来た中州島(オノゴロ島)に降り立って結婚したとある。天と地を結ぶ場所、生と死を司る場所の典型と解釈すべきではないか。」

 ⑩ 「長髄彦の意味=富雄の丘陵の大夫」説<「邪馬台国=富雄川流域」説ご参照>

 ⑪狩猟採集民(縄文人)は走る能力が高く山野を早く走った(走るために生まれてきたのが人類ご参照)。それを見た弥生人は驚き、縄文人の指導者を長髄彦と呼んだ。それには、畏敬の意が込められていたが、やがて、弥生人は、縄文人が早く走れるという自分たちの理解しにくい気持ちを侮蔑の気持ちに変換して縄文人を七束脛ナナツカハギ・八束脛ヤツカハギ・土蜘蛛ツチグモなどと呼ぶようになっていった。

 ⑫ナガスネヒコは、元は「ナーガ」「スネーク」「ヒコ」であったとの説もある。蛇(スネーク)が、古来より世界各地で「神」「神の化身」「神の使い」として崇められてきことについては、このページご参照 

 ⑬ナガスネヒコ=長く拗ねた彦=長期に渡り抵抗した英雄

Q3(神武東征神話にも登場する)金の鵄はナガスネヒコの守り神であるが、ナガスネヒコの守り神「金の鵄」はなぜナガスネヒコが戦うのを止めたのか?答え [特に重要]

Q4.長髄彦神話(長髄彦物語/長髄彦伝説/長髄彦伝承)とは?/国譲り神話と長髄彦との関わりは?⇒答えは、国譲り神話と長髄彦神話.pdfに記載あり。

Q5.登美(トミ)の長髄彦(登美彦)の「トミ」とは⇒答えは、進藤 治「縄文言語からのアプローチ 『長髄彦』の実像」.pdfに記載あり。

Q6 長髄彦の最後(=結論という最も重要な事)は、文献によってどのように違うか。

 古事記・・・<ここに邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)が、伊波礼毘古命のもとに参上して、天つ神の御子に申しあげるには、「天つ神の御子が天降って来られたと聞きましたので、あとを追って天降って参りました」と申して、やがて天つ神の子であるしるしの宝物を献って、お仕え申しあげた。>と記すだけで、 長髄彦の最後のことは一切記していない(隠している)

 ②日本書紀・・・<饒速日命は、もとより天神が深く心配されるのは、天孫のことだけであることを知っていた。また、かの長髄彦は、性質がねじけたところがあり、天神と人とは全く異なるのだということを教えても、分りそうもないことを見てこれを殺害された。そしてその部下達を率いて帰順された。 >と記す 

 ③先代旧事本紀せんだいくじほんき・・・<宇摩志麻治命は、もとより天神が深く恵みを垂れるのは、天孫に対してだけであることを知っていた。また、かの長髄彦は、性質がねじけたところがあり、天神と人とは全く異なるのだということを教えても、分かりそうもないことを見て、伯父である長髄彦を殺害した。そして、その部下たちを率いて帰順された。 >と記す

 ④東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし・・・<イワレヒコノミコトとの戦い後、長髄彦ナガスネヒコは兄アビヒコと共に日高見(東北地方)の地を新たな故国として移住し、先住民族と合流して「アラバキ族」と名乗り、日高見の国を長く治めた>と記している。なお、「東日流つがる」とは「日の本が東に流れた」という意である。 

Q7金色の鵄とは⇒長髄彦のトーテム(守り神)で、生駒の「山ノ神」であり、霊蛇神であったトビ・トミ=ナガ=蛇神.pdf ご参照)。  

 

資料長髄彦を祀る神社

 ①村井康彦著『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて』.pdfに「富雄川・・・・・流域には長髄彦の遺蹟が点在している・・・・・。とくに伊弉諾いざなぎ神社(生駒市上町、長弓寺内旧牛頭天王社)、添御県坐そうのみあがたにいます神社(奈良市三碓)および登弥とみ神社(奈良市石木町)はそれぞれ上鳥見かみとみ・中なか鳥見・下しも鳥見の鎮守とされ、富雄川流域の住民と深いつながりをもってきた。」との記述あり。

  ・伊弉諾神社・・・長弓寺・伊弉諾(登彌)神社・真弓塚ご参照

  ・添御県坐神社・・・生駒の神話ゆかりの古蹟ご参照

  ・登弥とみ神社・・・生駒の神話ゆかりの古蹟ご参照  

 ➁古史古伝「先代旧事本紀大成経」は陸奥国一之宮鹽竈しおがま神社の鹽竈大神をナガスネヒコであるとしている。

  <以下、リンク>

 ・長髄彦の後裔とその奉斎神社  

 ・廣瀬大社 - 御祭神はトヨウケビメとウカノミタマが習合、実はナガスネヒコ?

 ・富都神社 - 由緒不詳も「布都」「登美」で物部色が濃厚、近世には牛頭天王

 ・櫛玉命神社(明日香村) - 玉作連の祖神、長髄彦・饒速日命とも、広瀬郡式内との関係は?

 ・このページ

参考文献

  ④長髄彦への言及あり⇒トビ・トミ=ナガ=蛇神=化して鳥(トビ).pdf朱と蛇神をめぐる古代日本人たち

  ③木村武俊「長髄彦の謎」.pdf

  ②進藤 治「縄文言語からのアプローチ 『長髄彦』の実像」.pdf

  ①折口信夫の長髄彦論

 参考

 ⑥このページに、この表題(ナガスネヒコは、矢田丘陵全山を2時間程度で駆け抜けていた!? )の記事あり。

 ⑤今も東北に生きる「ナガスネヒコの精神=愛瀰詩(エミシ)の精神」とは 

 ➃生駒市出身の作家で、生駒の神話の舞台である生駒市北部のまちを舞台とする小説「ペンギン・ハイウェイ」生駒検定<全国版><問22>小説「ペンギン・ハイウェイ」 ご参照) の作者である森見登美彦さんは、自身の筆名は「古事記」に登場する「登美彦(長髄彦 )」に由来する、と述べています(ご参照)。

 ③」このページの「トミのナガスネヒコに言及あり」をご参照


 ②「長彦とイワレヒコの戦い」と「象徴天皇制」 生駒の神話と天皇制 

 ①長髄彦の墓

   ・「司馬遼太郎が考えたこと 1」長髄彦.pdf 

   ・鍋塚(なべつか)古墳 奈良県葛城市。直径46mの円墳) 

   ・オセドウ貝塚青森県五所川原市にある。オセドウ(お伊勢堂)と呼ばれ、大正時代に見つかった縄文時代前期の貝塚。 安日彦・長髄彦を再葬した墓地だとも言われている。長髄神社あるいは荒吐(あらはばき)神社とも呼ばれている。

 

 

 

 

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