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高橋克彦 「火怨 北の燿星アテルイ」

                 (文中の太字は引用者による)

 「蝦夷はもともと出雲に暮らしていた。出雲の斐伊ひい川流域が蝦夷の本拠。斐伊を本もととするゆえ斐本ひのもとの民と名乗った。それがいつしか日本と変えられて今に至っておる。宮古や玉山金山の辺りを下閉伊(現在の岩手県下閉伊郡しもへいぐん)と呼ぶのもその名残」

 なるほど、と阿弖流為たちは傾いた。

 「大昔の話ゆえ俺もよくは知らぬ。祖父や親父は俺が物部を継ぐからにはと、たびたび聞かせてくれたが、そんなのんびりとした世ではなくなっていた。昔のことがわかったとて朝廷に勝てるわけではない。それでも、そなたより多少知っている。

 天鈴(引用者:物部一族の長。祖先は都から陸奥に逃れてきて以来、蝦夷を支援し、それと運命を一つにしてきた)は蝦夷と物部の繋がりを話した。

 「出雲を纏まとめた大国主命が蝦夷の祖先に当たることは俺の親父から聞いておろう」

 阿弖流為は首を縦に動かした。

 「その大国主命の子に長髄彦という者が居て、大和を纏めていた。一方、我ら物部の先祖はニギハヤヒの神に従って海を渡り、この国にやってきた。ニギハヤヒの神は今の天皇の遠祖と言われるスサノオの命の子であったらしい。本来なら大国主命と敵対関係にある。なのにニギハヤヒの神は長髄彦の妹を妻に娶めとって大国主命の親族となった」

 「なぜにござる」

 「強引に国を奪うをよしとさなんだのであろう。そこに今の天皇の祖先たちが乗り込んできた。大国主命を幽閉し、力で国を奪わんとしたが、長髄彦は激しく抗あらがった。結局、長髄彦は敗れて東日流つがるへと逃れた。ニギハヤヒの神は同族であったがためになんとか処刑を免れ、我ら物部も朝廷に従うことになった。しかし、一度は敵対した物部への疑念はいつまでも晴れぬ。冷遇が目立つようになり、ついには都を追われた。東日流を頼るしかはくなったとき、そなたらの祖先らは我ら物部を喜んで受け入れてくれた。以来、物部と蝦夷はしっかりと手を結んでいる」

 「この国のすべてが、もともとは我らすべてのものであったと?」

 「そうだ。力で奪ったくせして朝廷は出雲の民から継承したものだと言っておる。蝦夷を執拗に憎むのは、己の罪を認めたくない心の表れであろう。獣に近い者ゆえに追いやって当たり前と己に言い聞かせておるのだ」

 「…………」

 「同族でありながら裏切った物部はもっと憎い。陸奥にひっそりと暮らしておれば文句はつけぬが、もし蝦夷への支援が明瞭となったときはただでは済むまい。いや、あるいは薄々と気付いていればこそ五万もの兵力を投じてきたのかも知れぬな」

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