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大和湖(奈良湖)

     「大和湖(奈良湖)=奈良盆地」は、縄文時代以後、海湾→海水湖→塩分の残る湖と湿地の盆地→塩分のあるところにまず茂る植物である葦原の湿地盆地→塩分の抜けた湿原盆地→水田と湿地の盆地→水田と乾地の盆地へと変化した

【1】地図 <右に掲載の地図はクリックで拡大できます。>53narakojpg53

Ukabuikoma_2183 近畿地区の確率論的地震動予測地図(表層地盤の揺れやすさを示した地図).jpg出典地図元)<→上左>

浮かぶ生駒山地.jpg生駒市誌より)<→上中>

奈良湖推定図.jpg出典図版作成者のHP)<→上右>

奈良盆地周辺の地形の変遷(国土地理院/2010)

5moosakakouteisa01 河内湾・大和湖.jpg<→中左> Kawatiwanyamatokomiyakotuki

奈良盆地の盆地湖.gif邪馬台国の会のHPより)<→中中>

    奈良盆地の北西と南東に2つの鳥見トミ.jpgがある。

数値地図5mメッシュ(標高).jpg大阪高低差学会のHPより)<→中右>

1万年前の畿内地方中心部(概念図).jpg出典)<→下左>

HighimagetizuPhoto_6 03 面が+60mだった頃の生駒市.jpg<→下中>  Sea level rise : +60m  

1万年前ごろの近畿地方の変成ランドサット映像(想像).jpg<→下右>

古代の河内平野と大和盆地.jpg

縄文海進の海岸線(縄文から弥生を経て8世紀くらいまで、日本海~大阪湾(河内湾・河内湖・河内潟)~奈良盆地(奈良湖)は水路で結ばれていた)  古代地形想定図

参考 : 古代畿内の都位置図.jpg(大阪歴史博物館展示)<sultt。旅行的意義さんのHPより> 古代畿内の都位置図.jpg(柏原市歴史資料館展示)<親父のつぶやき。さんのHPより引用して加工>

古墳時代(3~6世紀)の河内・大和地方の地図と古墳群の分布図猪甘津の橋と猪飼野今昔より)

但馬二千年桂古代地図

Photo_6Photo_3J-SHIS(地震ハザードステーション)J-SHIS Map生駒周辺.pdf<→左図(クリックで拡大)>を見ると、縄文~弥生時代に島・半島であった生駒と海であった大阪湾・奈良盆地・京都盆地<→右図(クリックで拡大)>との対比が明確です。

【2】資料と地図 

嶋恵「古代の地形から『記紀』の謎を解く」.pdf(【1】の海面が+60mだった頃の生駒市所収)

近畿地方の古地理に関する調査(国土地理院)/pdf

吉本隆明「ハイ・イメージ論 Ⅰ」.pdf(【1】の1万年前ごろの近畿地方の変成ランドサット映像(想像)所収) 

竹村公太郎「『地形から読み解く』日本史」.pdf(【1】の近畿地区の確率論的地震動予測地図奈良湖推定図所収)

奈良盆地:地形・地質・水系

【3】資料 

樋口清之 「日本古典の信憑性」(『国学院大学日本文化研究所紀要』第十七輯)

奈良県生駒市高山地区の重力探査から推定される活構造・・・本文に、下記の記載がある。

  「古奈良湖(現在の奈良盆地から京都盆地南部にかけて拡がっていたとされる)」の水は、生駒山地を横切って大阪湾に直接流入していたことが古水流の方向から推定されている。したがって現在のように、奈良盆地北端部に降った水が一旦南下して王寺で大和川に合流し、京都盆地側の水が北上して淀川に注ぐようになったのは、その後の生駒山地の上昇によるものと考えられる。この生駒山の隆起運動には、現在みられる生駒断層、矢田断層、宮方断層が関与したと考えられる。 

大和盆地の原風景

奈良湖が存在していたことを認識していないと、万葉集の冒頭(2番目)に出てくる有名な歌である「大和には 群山むらやまあれど とりよろふ 天あまの香具山 登り立ち 国見をすれば 国原くにはらは 煙けぶり立ち立つ 海原うなはらは 鴎かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島あきづしま 大和の国は」の太字部分が理解できなくて(「岩波書店 日本古典体系 万葉集」も、海原が何なのかの注釈をせず、鴎も「海鳥」とはせず「水鳥の一種」としか注釈せず、この歌については〔大意〕を付けることをしていません)、万葉集には現代人が理解できない歌も含まれているという先入観が与えられてしまいます<既述の出典再参照>。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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