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河内湾・河内潟・河内湖

 ※二千年前は大阪平野は海であり、河内湾であった。淀川、大和川が土砂を運び河内湖になったのが千七百年前とされている。なお、河内湖は江戸時代には深野池ふこうのいけと呼ばれた。

【1】地図

古代の河内平野と大和盆地.jpg

浮かぶ生駒山地(『生駒市誌』より).pdf

縄文海進の海岸線(縄文から弥生を経て8世紀くらいまで、日本海~大阪湾(河内湾・河内湖・河内潟)~奈良盆地(奈良湖)は水路で結ばれていた。そして、天野川も今より広くニギハヤヒが天の磐船で遡るには充分だったはず。)   古代地形想定図

183 近畿地区の確率論的地震動予測地図(表層地盤の揺れやすさを示した地図).jpg出典地図元<→右地図>

地図<古田武彦『真実の東北王朝』より>

関裕二『物部氏の正体』より

縄文時代~弥生時代の大阪の地形図(「平野区誌」掲載)

河内湖大和国建国の始祖王饒速日尊(大歳)より)

河内湾・大和湖.jpg 

河内湖.gif邪馬台国の会HPより)

08_3数値地図5mメッシュ(標高).jpg大阪高低差学会のHPより)<→右地図>

1万年前の畿内地方中心部(概念図).jpg折節の記より)

古墳時代(3~6世紀)の河内・大和地方の地図と古墳群の分布図猪甘津の橋と猪飼野今昔より)

但馬二千年桂古代地図

大阪平野(河内湖・河内湾)の変遷

古代大阪湾の地図

312 大阪湾の歴史

約5500年前 縄文時代の河内生駒山系と歴史路の観光資源展開より)<→右地図>

【2】地図と資料

森浩一『日本の神話の考古学』より

淀川河川事務所 淀川の成り立ちと人とのかかわりミラー

国交省近畿地方整備局 大阪湾環境データベース

河内湾→河内潟→河内湖.pdf東アジアにおける難波宮と古代難波の国際的性格に関する総合研究より)

奈良盆地周辺の地形の変遷(国土地理院/2010)

嶋恵「古代の地形から『記紀』の謎を解く」.pdf

近畿地方の古地理に関する調査(国土地理院)/pdf

吉本隆明「ハイ・イメージ論 Ⅰ」.pdf

竹村公太郎「『地形から読み解く』日本史」.pdf

【3】参考

樋口清之 「日本古典の信憑性」(『国学院大学日本文化研究所紀要』第十七輯)

05大阪城天守閣の高さと琵琶湖の水面は同じ高さ琵琶湖の特徴

生駒山のてっぺんから見た大阪平野の夜景(→右の写真<クリックで拡大>)<この夜景が広がるところ、かつては海原であった>

司馬遼太郎「城塞」生駒山記述部分抜粋.pdfより

29   司馬遼太郎さんが日本のどこよりも好きだった摂河泉の大眺望(→右の写真<クリックで拡大>)<この平野が広がるところかつては海原であり、ここを生駒山に向かって進攻してくるイワレヒコ軍をナガスネヒコは睥睨へいげいしていたのである。>  この写真は、この阪奈道路の地図に「摂河泉の眺望」と印字したところ(その写真)で撮影(ここは車を止める場所がなく、撮影チャンスは後続車両がない一瞬ですが、徒歩道があるので、それを利用すればゆっくりと撮影できます)


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