« 縄文時代     | トップページ | 示唆に富む資料・言葉       »

「全国最悪」から「全国一」へ

~うたの旅人「岩手県民謡『南部牛追唄』」<朝日新聞(12.7.28)別刷り「be」>より~

 ・・・・・「南部牛追唄」に登場する旧沢内村(現岩手県西和賀町)は豪雪地帯だ。岩手県と秋田県との境に位置し、冬が厳しい東北地方の中でも、長年、とりわけ苦しい生活を強いられてきた。県道沿いの寺には、年貢の代わりに差し出された伝説の娘をまつる「お米(よね)地蔵」がある。

 ところが、その先にある沢内病院の向かいには、地蔵とは対照的な記念碑がある。「老人医療無料診療発祥の地」と記されたその碑は、村と住民が自らの手でつらく貧しい暮らしを克服した象徴だ。

 「生命村長」。住民にそう呼ぱれた深澤晟雄(ふかさわまさお)氏(1905~65)の胸像と資料館が、記念碑のそばに立つ。

 深澤氏が村長になった1957年、豪雪と多病多死と貧困は、どれも全国最悪の状況だった。積雪は3㍍、乳児死亡率は全国平均の約2倍。さらに、全世帯の1割が生活保護を受けていた。深澤氏はこの三悪の克服を村人に呼びかけた。

 まず、3年の分割払いでブルドー・ザーを買った。除雪に使い、冬季の交通を確保した。さらに、村に医師を招くため東北大学に日参した。3ヵ月の約束で派遣された若い医師は意気に燃え、2年がかりで村の医療計画をまとめ、15年にわたって村の健康作りを担う先頭に立つ。

 老人医療の無料化は、まず65歳以上を対象に60年に実施した。全国で初めての取り組みに対し、岩手県は法律違反だと指摘した。しかし、村は「憲法の生存権を実現する。国はあとからついてくる」と主張して一歩も引き下がらなかった。

 貧しい財政から費用を捻出するのは大変だったが、その後、村は無料とする年齢を60歳以上に拡大。村の自主財源は当時、1千万円に満たなかったが、約30%を医療費などの保健衛生費に充てた。

 実は、村の財政はブルドーザーの活躍で改善に向かっていた。除雪によって冬季も木炭や木材の搬出が可能となり、村人の収入は増加した。さらにブルドーザーで新田開拓などをしたため、米の政府売渡量は5年で2・5倍に伸びていた。

 全国最悪の乳児死亡率の改善には、保健師3人を採用し、取り組んだ。女性の保健師が吹雪の日も雪をかき分けて乳児のいる家を訪問し、62年、全国の自治体で初めて乳児死亡率ゼロを達成した。

 「お米」が人身御供にされたと伝わる時代から1世紀ほど後に、住民の総力で「全国最悪」から「全国一」になった。

 それから今年で、半世紀になる。今月22日、「乳児死亡ゼロ50周年の集い」が資料館で行われた。沢内病院の事務長だった米澤一男さん(69)は「節目節目で住民運動が起きて村を変えた。『命の行政』は、今も生きています」と誇る。

 ・・・・・葛巻町。ここもまた、住民の力で町の姿を大きく変えていた。

 町内の山には、乳牛や肉牛が群れる草地に、計15基の巨大な風車が立つ。風力発電だ。中学校の敷地には太陽光発電のパネルが420枚も並ぶ。牧場では牛の糞(ふん)でバイオマス発電をしていた。町のエネルギー自給率は166%を誇る。まさに「クリーンエネルギーの町」だ。

 東日本大震災で起きた東北電力福島第一原発の事故を受け、新エネルギーヘの転換が叫ばれているが、この町のクリーンエネルギー導入はそれより10年以上も前だ。きっかけは、88年ごろに持ち上がった産業廃棄物処理施設の建設計画だ。

 ふだんは寡黙な町民が「葛巻町の自然を守れ」と声を上げた。それが、ただ自然を守るだけでなく積極的に町の自然をアピールしようという動きに発展した。

 町議がデンマークの風力発電を視察した後、東京の風力発電会社と第三セクターを設立して99年、最初の風車3基を設置した。建設費は3億4千万円。半分を三セクが出し、残りは国の補助を受けた。町の出資は250万円。町はこの年、「新エネルギーの町」を宣言した。

 2003年には、畜産バイオマスプラントを稼働。05年には、新エネ大賞(資源エネルギー庁長官賞)も受賞した。

 林業対策の一環として始めた「くずまきワイン」は、今やブランドとなった。

 「JRの駅もない、温泉も出ない。何もなかったから、自分たちで何かするしかなかった」と、葛巻町農林環境エネルギー課の鈴口美知代さん(49)は言う。・・・・・。

« 縄文時代     | トップページ | 示唆に富む資料・言葉       »