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反時代的密語 理想の旗を高く掲げよ

 ・・・・・近代文明とともに始まった環境破壊は日増しに広がり、今や人類そのものを滅ぼす大いなる危険となっている。・・・・・京都議定書は、この人類の滅亡を大幅に遅らせようとするための条約であろう・・・・・。

 近代という時代は二つの哲学によって支配されている。一つはデカルトの哲学である。それは理性をもった人間を世界の中心におき、その人間と自然することによって自然を支配し、それによって武力と経済力を獲得することを最大の善と考える思想である。もう一つの哲学は、国家の力を絶対化するホッブズの思想である。

 京都議定書の実施にもっとも熱心なのはヨーロッパ諸国であるが、近代文明を生み出したヨーロッパ諸国はその限界にも気づき始めたのではなかろうか・・・・・。しかしこの近代文明を移入し、かつて人類がもったことのないような巨大な軍事力と経済力をもつ超大国アメリカは、このような文明のもつ危険性について、ヨーロッパ諸国と比べて認識が乏しいのも当然といえば当然といえる。

 京都議定書の発効において、日本がアメリカとヨーロッパ諸国の調停を行うべく粘り強い努力をしたことは一応評価できるが、私はそれだけでは不十分であると思う。なぜなら、日本ほどこの問題において積極的に発言できる国は世界のどこにもないからである。

 この議定書が日本で、しかも京都において採択された意義は大きい。京都は、平安仏教すなわち天台仏教と真言密教を総合し、しかも浄土、禅、日蓮などの鎌倉仏教の思想的根拠を与えた天台本覚論が生まれたところである。天台本覚論は、動物ばかりか植物すら、すべての生きとし生けるものに仏の性があり、それらはやがて仏になれるという思想である。この思想こそ、約一万二千年前に農耕文明が起こる以前の狩猟・採集時代の人類の普遍的な哲学であったと思う。

 農耕文明が始まって人間を特別なものとする思想が生まれ、それが理性によって人間の他の生物に対する優越性を示すプラトンの哲学になる。この哲学はキリスト教に受け継がれ、人間の他の生物に対する支配権を主張する思想となる。キリスト教では、人間の上に神があったが、デカルト以来の近代哲学では、人間が世界の中心に座り、自然に対する絶対的支配権を行使する。

 このような近代思想に別れを告げ、人間は本来他の生きとし生けるものと同じものであり、そのような生とし生けるものと共存することを人間の使命と考える原初的人類の哲学に帰らねばならない・・・・・。

 柳田国男は、山の神すなわち森の神は田植えとともにから下りて田の神となり、そして稲刈りが終わるとまた山に帰るという。日本の神社には必ず森がある。日本人は縄文時代以来ずっと、神は森に住むと考えてきた。ところが、最初に都市文明をつくったシュメール人は、ギルガメシュ王が森の神を殺すという話で始まる「ギルガメシュ」という世界最古の叙事詩を残した。そして以後も西洋社会はこのような思想に従って森を壊して文明をつくった。しかし日本ではそのような森の神殺しは起こらず、森の神は少なくとも江戸時代の終わりまでは健在であった。西洋の近代文明の移入とともに日本の森の神も厳しい運命を迎えたが、それでも日本は先進国のなかで唯一、国土の約三分の二を占める森を有する。このような国は誇りをもって、二十一世紀以後の文明の最大の課題である環境問題において先頭に立つことができるはずである。

 戦後、日本人はエコノミックーアニマルといわれ、世界の人から羨まれつつバカにされてきた。そして現在でも日本人はいつも勝者にペコペコする、何らの定見のない民であると軽くみられている。それは残念至極なことである。私は、今こそ日本は環境立国の旗を高々と掲げ、伝統にもとづく日本の理想を世界に示すべきときであると思う。

「反時代的密語 理想の旗を高く掲げよ」(梅原猛・哲学者)<朝日新聞(05.3.1)>.pdfより~

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