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鳥越憲三郎『神々と天皇の間』

 ▲いかなる民族でも、主権者である王や酋長は、宇宙の至高神である日の神の子孫と信じられ、日の神のもつ絶対的な権力で統治しようとした。神々の名に多くみられる彦・媛にしても、本来は日子・日女に出たものである。また出雲族の祖神である天徳日(あめのほひ)命も、物部氏の饒速日命にしても、みな祖神を日の神としてとらえたものであった。

 ▲新しい土地への移住が行われたとき、その祖先はその土地へ降臨したという伝承で神格化され、またそこから系譜がはじまる。物部氏の大和への渡来を、祖先の饒速日命が河内国哮峰(たけるのみね)に降臨したと伝えている・・・・・。

 ▲この哮峰は『河内志』に、北河内郡讃良(さらら)郡の「田原村にあり、今石船(いわふね)山と号す。饒速日命降臨の地」とみえる。大阪府交野市私市から、生駒山を越えて奈良県生駒市に至る磐船街道に沿って天野川があるが、その上流の巨石群をさす。石船石と呼ぶ岩は高さ一五メートル余、傍に延喜式外の磐船神社があって、住吉三神を祭神としている。祭神からみても、後世に天磐船と結びつけたものであろう。ところが、天平三(七三一)年の作という『住吉大社神代記』によると、生駒山にもつ同社の神領の四至として、「北を限る、饒連日山」が記され、そのころまで饒速日山と称される峰があり、哮峰はその峰をさすものでなくてはならない。

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