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直木孝次郎 『日本神話と古代国家』

『記・紀』と日本神話

 一般には、『記・紀』の神代の物語を『記・紀』の神話といっている。しかし考えてみると、これを神話とよんでよいかどうか問題がある。神に関する話だから神話だというような単純な考え方は、学問的ではない。神話といわれるためには、いくつかの条件がいる。学者によって条件はいくらか違うが、私は最小限、つぎのような三つの条件が必要だと思う。

 まず第一に、神々についての物語であること。第二に、一部知識人の創作ではなく、広く民衆のあいだに語り伝えられ、信じられていること。第三に、宗教性または呪術性をもち、社会を規制する力をもつこと。この三つである。原始社会において、神話が道徳や法律にかわる機能をもつのは、神話のこの性質から生ずるのである。『記・紀』の神代の物語は、こうした神話の条件にあてはまるだろうか。どうもそうとは思われないのである。

神武天皇と古代国家

 ・・・・・『書紀』では、饒速日命(邇芸速日命)が降伏するとき、長髄彦(登美毘古)を殺したとある。『古事記』だと、神武天皇にもっとも頑強に抵抗し、五瀬命を戦死させたほどの登美毘古の最後がはっきりしない

神武伝説の形成過程――神武天皇像の成立

 神武天皇が実在の人物ではなく、大和平定の物語は五世紀後半以降の歴史にもとづいて作られた部分が多いことと、東征の物語も史実を伝えたものでないことを、いままでのところで述べた。神武天皇についての疑問の多くはこれで解明できたと思うが、最後に残る大きな疑問は、それならば、なぜ日本の統一者が九州も南の日向を出発点として大和にはいるという物語が作られたのか、という問題である。

 以下その疑いに答えながら、神武伝説の成立過程を述べて、この小論のまとめとしたい。

 初期の国家の中心となった地域は、やはり奈良盆地の東南部、三輪山の山麓周辺の地であろう。この地域に初期の古墳が多いところからそう考えられるのであって、年代は考古学の研究成果に従えば、三世紀末ないし四世紀初頭と推定される。このころはまだ天皇ということばはなかったが、天皇に相当する地位についたのは、のちに崇神天皇といわれるミマキイリヒコイニエノミコトであろう。それから約一世紀のち、すなわち四世紀末から五世紀初めが、応神天皇・仁徳天皇の時代であるが、この両天皇をはじめとして以下数代の天皇の陵および皇宮が、河内・摂津・和泉(いずれも大阪府)の地にあったことが、『記・紀』に伝えられている。このころから有力になる氏族、たとえば大伴・物部などの氏族も河内・和泉の地方を本拠地としていた。そのほか、種々の事情を総合して考えると、応神・仁徳を中心とする勢力が摂津・河内方面から大和へ侵入して、崇神天皇にはじまる王朝を倒して、新しい王朝を樹立したという推測がなりたつ。

 国家形成の力が西から来たという物語の起こるみなもとは、このことにあったのではあるまいか。神武天皇が日向からくるのと、応神・仁徳が摂津・河内からくるのとでは、西は西でも違いすぎる、といわれるかもしれないが、四世紀末から五世紀初めは、日本が朝鮮に大規模な出兵をこころみていた時期で、兵力輸送の起点となる摂河の地と、朝鮮への前進基地である北九州とは密接な関係にある【(補注)「四世紀末から五世紀初め」の大規模な出兵、というのは、好大王碑銘文によるが、この時期、朝鮮に侵入した倭兵を送り出した主体については、本稿執筆以降多くの研究があり、大和の政権と考えてよいかどうか、簡単に決めにくい。改めて再考したいと思うが、ここではしばらく発表当時のままにしておく】。

 応神・仁徳の勢力の本来の基盤は大阪平野であるが、彼らが強大になった直接の原因は朝鮮出兵に関与したことにあり、その勢力範囲が北九州にまでひろがっていたことは、十分に考えられるであろう。神武東征の起点を九州におく構想は、これから生まれたものと思われる。 ただし、応神・仁徳王朝が九州から立ちあらわれたのでは、それ以前から大和に存在する崇神王朝の権威を打ちやぶることができない。そこで、応神・仁徳王朝成立後、若干の年数がたったのち、九州から征服者があらわれたのは崇神天皇以前のこととし、その征服者-神武天皇-によって作られた国を崇神王朝がうけつぎ、さらに応神・仁徳王朝がうけついだという建国物語が形成されたのであろう。その時期は、大伴・物部両氏が権勢をふるっていた五世紀後半のころと推定する。そうしてこのころ、大和政権の勢力はようやく九州南部にまで伸びていた。この地は開拓前線であり、新付の地であるが、それだけに大和の貴族にとっては霊力にみちた神秘の地と見られた。それが、神武天皇の出発点を北九州ではなく、南九州の日向とした理由であろう。

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