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古語拾遺 <訓読文>

神武天皇の東征

 神武天皇(じんむのすめらみこと)東(ひむがし)に征(ゆ)きたまふ年に逮(およ)び、大伴氏(うぢ)が遠祖(とほつおや)日臣命(ひのおみのみこと)、元戎(おほつはもの/大軍/神武前きによれば来目部)に督将(いくさのきみ)として、兇渠(あたども/神武前紀によれば兄猾・弟猾、兄磯城・弟磯城等の敵)を剪(き)り除(はら)ひき。命(きみ)を佐(たす)けし勲(いさをし)、比肩(なら)ぶもの有ること無し。物部氏が遠祖(とほつおや)饒速日命(にぎはやひのみこと)、虜(あた)を殺し衆(もろひと)を帥(ゐ)て、官軍(みいくさ)に帰順(まつろ)ふ。忠誠(ただ)しき効(まこと)、殊(こと)に褒寵(みめぐみ)を蒙(かがふ)る。大和氏(おほやまとうぢ)が遠祖(とほつおや)椎根津彦(しひねつひこ)は、皇舟(みふね)を迎引(みちび)きまつりて、績(いたはり/功績)を香山(かぐやま)の巓(いただき)に表(あらは)す<水先案内者の功と、天香山の討賊の呪具である埴土採取の功の二つを述べている>。賀茂県主(かものあがたぬし)が遠祖(とほつおや)八咫烏(やたがらす)は、宸駕(みゆき)を導き奉りて、瑞(みづ)を菟田(うだ)の径(みち)に顕(あらは)す。妖気(わざはい)既に晴れて、復(また)風塵(さわき)無し。都を橿原(かしはら)に建て、帝宅(おほみや)を経営(つく)る。

即位大嘗祭

 日臣命(ひのおみのみこと)、来目部(くめべ)を帥(ひきい)て、宮門(みかど)を衛護(まも)り、其の開闔(あけたけ)を掌(つかさど)る。饒速日命、内物部(うちのもののべ)を率いて矛・盾を造備ふ。・・・・・然る後に、物部乃ち矛・盾を立つ。大伴・来目仗(つはもの)を建て、門(みかど)を開きて、四方(よも)の国を朝(まゐ)らしめて、天位(あまひつぎ)の貴(たふと)きことを観(み)しむ。

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