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海外の文献  

       (文中の太字は引用者による。)

(1)『漢書(かんじょ)』地理志(1世紀成立)

  ①燕地(北京付近)の条「楽浪海中、倭国有り。分れて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う。」:(前202~後8年の前漢時代のことだが)楽浪郡(前108年成立、313年滅亡)の向こうには倭人がいて、百余の小国に分かれている。そして定期的に中国に貢物をもって中国の天子にお目にかかりに来るということだ。

  ②呉地(会稽山付近)の条「会稽かいけい海外、東鯷とうてい人有り。分れて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う。」:会稽郡(長江下流域の郡)の向こうには東鯷人がいて、二十余の小国に分かれている。そして定期的に中国に貢物をもって中国の天子にお目にかかりに来るということだ。

(2)『後漢書(ごかんじょ)』(4~5世紀に成立)東夷伝(東夷列伝第七十五の倭条)

 ①「桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し、歴年主なし。」:後漢の桓帝・霊帝の時代(2世紀後半)、倭の国内が大いに乱れ、たがいに争い、長い間、統一されなかった。

  ②「会稽海外に東鯷人あり。分かれて二十余国を為す。」

(3)『魏志』(3世紀後半に成立)倭人伝(東夷伝の倭人条)…「倭人は帯方郡(後漢末

205年頃、楽浪郡の南部を分割して新設、313年滅亡)の東南方の中にある山がちな島に邑(むら)や国をつくっている。もと百余国に分れ、漢の時に朝貢するものもあった。現在(魏<220~265年>の時代)使いを遣わして来るものは三十国である。・・・・・。(これらの国には)代々王がいるが、皆、女王国(邪馬壹国)に服属している。・・・・・狗奴(くぬ)国があり、男王を王としている。・・・・・この国は女王に服属していない。・・・・・。その国(邪馬壹国)は、もと、男王が七、八十年支配していたが、倭国が乱れて何年間もたがいに攻め争うようになった。そこで女王を立てた。この女王の名を卑弥呼といい、女王は、呪術をよくして人民を従えた。・・・・・倭の女王、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼ひみこことは、まえまえから不和であった。倭(国)では、載斯さし・烏越あおなどを(帯方)郡にいたり(遣わし)、たがいに攻撃する状(況)を説明した。・・・・・卑弥呼はすでに死んだ。」

(4)『旧唐書(くとうじょ)』(945年完成)倭国日本伝(東夷伝の倭国条・日本国条)

  ○倭国条:倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。世ヽ中国と通ず。其の国、居るに城郭なく・・・・・四面に小島、五十余国あり、皆焉(こ)れに附属す・・・・・。

  ○日本国条 原文読み下し:日本国は倭国とは別種なり。その国、日の辺(あた)りに在る故に日本とすと。或いは云う、倭国は自らその名の雅(みやび)ならざるを悪にくみ改めて日本となすと。或いは云う、日本国は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大きょうだい、実を以て対(こた)えず。故に中国焉れを疑う。またいう、其の国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸な大海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり、と。

    ○同 意訳:日本(ヤマト/ひのもと/にほん)国※1は、倭(ヤマト)国(別名、和国)※2とは別の国であり、東の方にあるので日本としている。あるいは、倭国は、倭という字義が「背が曲がって丈の低い小人」というものなので日本に改称した。あるいは、日本国はもとは小国であるが、倭国と連合した。(以下、略) 

      ※1 日本国:河内・大和<やまと/大倭(おおやまと)>以東の小国連合体、または出雲から大和までの広範囲の小国連合体か。

      ※2 倭国:出雲から筑紫・日向までの広範囲の小国連合体、または日向(薩摩・大隈を含む)の小国連合体か。 

(5)『新唐書(しんとうじょ)』(1060年完成)日本伝(東夷伝の日本国条)

  ○原文読み下し:・・・・・日本は、古の倭奴なり。京師から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中に在る島に暮らしている。東西には五カ月の行程、南北には三カ月の行程。国に城郭はなく・・・・・。翌年、使者が蝦夷人とともに来朝。蝦夷もまた島の中で暮らしており、・・・・・箭(や/矢)を首の耳輪の辺りに構え、人に瓠ひさご(ヒョウタン)を載せて数十歩先に立たせ、射って的中せざるはない。・・・・咸亨元年(670年)、遣使が・・・・・。後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。またその国都は四方数千里だと妄りに誇る、南と西は海に尽き、東と北は大山が限界となり、その外は、すなわち毛人という。・・・・・

(6)倭人伝・倭国伝(リンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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