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              お断り2019年3月19日にココログが全面リニューアルされました。それにより、スマホでは見やすくなったかもしれませんが、パソコン画面では字が小さくなるなど見にくくなってしまいました。リニューアルに対応するよう努めていますが、それが不十分な点がありましたらご容赦ください。 

ご訪問、ありがとうございます。このHPは「生駒の神話研究会」の公式HPです。

「生駒の神話研究会」の訴え

新着情報

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お知らせ

生駒の神話研究会学研高山第2工区のあり方を考える生駒市民の会(市民の会)との連携協力で大事なことは皆で考え決めよう会生駒市「神話と里山の都市」構想策定・提案・広報しています。 

)精神科医・マンガ家の相澤雅子さんが、本HPをお読みいただいて着想を得て短編マンガ「生駒と天皇(ナガスネヒコ物語)」(42ページ)を創作されました。感謝の意を表しながら、以下の通りご紹介させていただきます(23.7.30)。

 ①WEB版  相澤雅子さんの公式サイトに〈古代生駒の縄文人と弥生人の短編マンガ〉というコピーを付して 「生駒と天皇(ナガスネヒコ物語)」がアップされています。

 ②PDF版 相澤さんより、生駒神話を広めるために自由にご利用くださいというお言葉と共にいただいたPDF版.pdf

 〇相澤さま、ありがとうございました。

☆☆☆

 右のカテゴリー(これが表示されない時⇒ここをクリック)よりお入り下さい。通読される場合は下へお進みください(下へ進めない時⇒ここをクリック)。

 書き足しを重ねています。そのため、新しい記載と古い記載との齟齬が生じている場合がございます。それは修正するように努めていますが、記事の量の増加によりそれが出来ていないこともあるかと思いますがご寛容ください。

 このHPは書き足すうちに大量の情報が載るものとなってしまいました。すべての情報をお読みいただくことは時間がかかります。そこで、まず下記のA. 生駒の神話<最新版>、次にB.生駒の神話<提要>(これまでの最新の探求成果をコンパクトにまとめたもの)とC.生駒神話<概説>D.このHPの概観(エッセンス)をお読みいただいてから、このHPを読み進んでいただくと、わかりやすいのではないかと存じます。そして、お時間のない方にもお読みいただきたいものとして、E. このHPをまとめたものも下に記載いたしました。

A.生駒の神話<最新版>

B.生駒の神話<提要>  

C.生駒神話<概説>

D. このHPの概観(エッセンス)

 ・・・縄文(縄文人の本然の性は非戦)から弥生への移行期の歴史的意義(狩猟採集漁撈から水田耕作へ。それに伴う私有財産制の発生を背景とする、殺戮を属性とする国家=権力の成立と、その殺戮行使に対抗する、縄文人の本然の性から派生した「非戦・避戦の精神」に基づく国づくりを目指す天皇制の成立)を説明するために成立したのが、生駒を舞台とする神話である「生駒の神話」(ナガスネヒコ・ニギハヤヒから国譲りされてイワレヒコが天皇に即位した神話)である。そして、大和王権の権力者が、天皇を殺戮行使を厭わない権力者であるかにみせるべく「生駒の神話」を改ざんしてねつ造した神話が「神武東征神話」(ナガスネヒコ・ニギハヤヒから国を奪ってイワレヒコが天皇に即位した神話) である。これは改ざん・ねつ造されたものであるがゆえ、「生駒の神話」を復元しなければならないのである。そして、その復元されたものが生駒の神話のストーリー「解説付版】 である。

E. このHPをまとめたもの

)「生駒の神話」とは、生駒を舞台にした「物語り」的な神話です。生駒を舞台にした神話には、いわゆる「神武東征」と呼ばれているものがありますが、日本書紀に書かれたその神話の内容の概略は、次の通りです。

 九州にいたイワレヒコは、ニギハヤヒが治めている内うちつ国(生駒山の向こうにある日本の中心/現在の生駒から奈良盆地)を奪うために、瀬戸内海を東に向かい難波の海の東海岸に上陸して生駒山を越えようとした。しかし、ニギハヤヒの盟友であるナガスネヒコによって撃退された。東に向かって進軍したのは太陽に逆らうことになったので敗退したと考え、迂回して太陽を背にして侵攻せんとした。迂回の先々で、先住民を殺しながら、うちつ国に到着し、再度ナガスネヒコと会い見えたが、今度も苦戦した。そのとき、金色の鵄が突然に飛来して閃光を放ってナガスネヒコをして戦わさせなくし、ニギハヤヒがナガスネヒコを殺害して国を譲ったので、イワレヒコは内つ国を手に入れ、神武天皇として即位できた。

 この神話は、一見するだけだと、次のように疑問の多いものとなっています。

  ①古代の日本人は、他者が暮らしている国をかってに奪うことを肯定していたのか。

  ②古代の日本人は、 先住民の生存権を認めていなかったのか。

  ③古代の日本人は、 盟友を裏切る行為を肯定していたのか。

  ④古代の日本人は、 自分や愛すべきもの(この場合は自分が暮らす国の人々)の尊厳を守ろうとしない腰抜けを肯定していたのか。

 上記の疑問は、古代の日本人は、他者の尊厳を認めない、また、自らの尊厳も守ろうとしない人々だったのか、ということを突き付けるものとなっています。この疑問を放置すれば、古代の日本人、ひいては、今日の日本人までもが人間の尊厳を認めない、そこまでは言い過ぎとすれば、軽んじる民族となってしまいます。

 そのことを意識しながら、生駒の神話に関する書物を読んでいたとき、次の2つのことに出会いました。

  生駒市誌の一文「色の鵄は、本来は長髄彦(また登美彦)の側のトーテム(神)ではなかったか。」(ご参照

  これらの論者は、ただ一点重要なことを見逃しているのです。神武東征の際に河内の生駒山麓で頑強に抵抗した先住民とは一体何者であったのか、ということです。この点を不問にしているため、さまざまな重要な問題が不明のままに歴史の闇に葬りさられてしまっている。」<谷川健一「隠された物部王国『日本(ひのもと)』」 より>(ご参照)/ 「神武天皇にもっとも頑強に抵抗し、五瀬命を戦死させたほどの登美毘古の最後がはっきりしない。」<直木孝次郎 「日本神話と古代国家」より>

 上のは、 外国向けに日本という国の正統性を主張するためにつくられた日本書紀の作者の作為(「金色の鵄はナガスネヒコの守護神ではない」「ナガスネヒコは賊に過ぎない」とする)を指摘しています。

275  また、郷土史研究家からは「神武天皇を侵略者とする」見方もある〉ことを教えられました。右写真(この動画<23.3.18現在2285視聴>より)ご参照。

 上の①と②と③を頭に置きながら、右のカテゴリー「03 参考文献等」「06 資料」に掲載のものを読み調べることで、記紀等によって、いわゆる「神武東征」へと捏造されて<>伝えられてきた元の神話(これが、生駒の神話)を読み解き、その骨格を復元し、次の生駒の神話のストーリーの骨子としてまとめました。なお、この作業は、生駒の神話(生駒を舞台とする日本神話)を日本人のアイデンティティとして再生するものです(ご参照)。

記紀に書かれた神話は「ねつ造された神話」「大和王権の権力に都合の良いように作為された神話」であるが、

記紀の作為はなぜおこなわれたか? ←重要

 ①生駒の神話のストーリー(新情報を反映した改訂はなく、作成当時のまま

 ②①の解説付きが生駒の神話のストーリー「解説付版】 
(これは、改訂を随時に行なっております。そのため、「生駒の神話」のWEBページの他の箇所と整合性のとれない記載がある場合は、このページの記載が優先されます。)

 ③①に書き直す前のものを、生駒検定<全国版>
の第1問の問題文としています⇒そのWEB版その文書版.pdf (新情報を反映した改訂はなく、作成当時のまま

 上のストーリーの骨子は、これらの立脚点)に立ち、これらの留意点を踏まえこれらの資料を根拠に設定した「生駒の神話」の枠組み(パラダイム) に沿って、打ち出したものです。打ち出す際に作成した、ストーリーの青写真が「生駒の神話(国譲り神話と長髄彦神話)<概説>.pdf(新情報を反映した改訂はなく、作成当時のまま)です。

   )立脚点の1つが、邪馬〇国の名称・所在地論争に終止符を打つ論である 邪馬台国・狗奴国(日向政権)・大和政権・神武東征

)ストーリー【解説付版】をお読みいただければお分かりのように、捏造される前の元の神話(生駒の神話)は、上記の疑問を抱かせるものとは全く反対の内容をもつ神話で、当時の未来(つまり今日)に向かって、次のようなメッセージを発している神話です。

 ①生駒の神話と現在  

 ②<ナガスネヒコの守り神「金の鵄」はなぜナガスネヒコが戦うのを止めたのか?>これが、日本神話の最大の謎であり、その答が本当の生駒の神話の真意(元の生駒の神話の内容)であり、現代・未来への最大のメッセージとなっています。

金の鵄」が飛び立った生駒は、非戦・避戦の精神の発祥の地といえます。 

)記紀神話は、神武東征のように特定の人・勢力が作った(捏造した)ものですが、「生駒の神話」は「特定の人・勢力」ではなく「人々」がつくったものでした。それでは、なぜ人々はそれを作ったのでしょうか。

「生駒の神話」(という物語)はなぜつくられたのか。

弁証法で読み解く「天皇制の起源」(弁証法の活用による、天皇制の起源を伝える生駒の神話の復元)・・・殺戮を属性とする権力が殺戮しないように制御するために成立したのが天皇制」とある。

 

その他、このHP各所に掲載の記事の中で、できればお読みいただきたい記事

生駒の神話は、

 ①縄文から弥生への交代期のショックで発生した長髄彦伝承を基にするもの(ご参照.pdf)。

 ②縄文から弥生への移行期における里山の誕生の過程を反映したもの(ご参照.pdf )。

 戦い忌避神話であり、戦い忌避伝承である生駒伝承と符号・共鳴しており、「縁起の法」の神話化であるとも考えられる<縁起の法ご参照>。

生駒の神話のストーリーの骨子を打ち出すために参考にした資料のうち、最低限、目を通していただきたい資料

 ①生駒の地理、古道、古蹟、地名の位置がわかる地図、地形が分かる写真

 ②生駒市誌  富雄町史  先代旧事本紀  古史古伝

 ③村井康彦『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて』.pdfこの書物が画期をなす理由・この書物を読むための基礎知識.pdf紹介記事

 ④嶋恵「古代の地形から『記紀』の謎を解く」.pdf→右図が表紙07

   下記のような立ち位置で著されたことにより、この書物もまた記紀神話を読み解く上で画期をなすものとなっています。

   立ち位置:「神話や由緒には創作や事実を脚色したものが多く、事実がそのまま記されているわけではないのですが、全くの作り話というわけでもなく、何らかの事実を元に再編したり都合よく脚色したりして創られているようですので、その中に含まれている「事実の欠片」と思われるものを拾い出し、古代の地形地域の伝承地域資料に残されている事実や世界の歴史などと照らし合わせてみると、『納得できなかった教科書の歴史』とは全く違う歴史が納得できる形で表れてくるのです。」(14.10.17のブログより)

生駒の神話の舞台について・・・生駒の山生駒山地矢田丘陵(平群の山)西之京丘陵(京阪名丘陵・跡見の岳)豊秋津洲とは、まだ島・半島であったときの生駒のこと


その他

 生駒の神話の研究(ナガスネヒコのことを知ること)は、少年時代にナガスネヒコは郷土の英雄だときかされた者によっては〈人生は少年時代の復習〉です。(私の〈人生は少年時代の復習〉3題より)

補足

)生駒の神話は、敵を仲間にすることで敵を滅ぼす(殺戮せずして勝利する/平和的に争いを解決する)ことの大切さを教えています。

生駒市「神話と里山の都市」構想を策定・提案・広報している大事なことは皆で考え決めよう会と連携協力しています。

)現代における神話の役割⇒神話・伝承

 

 

 

生駒の神話<最新版>

~図はクリックで拡大できます。~

これは、元々24.2.3までに、24.2.4の第15回らら♪まつりミラー大事なことは皆で考え決めよう会がパネル展示した〈生駒市「神話と里山の都市」構想 〉 .pdf〉のために書いたものです。

「最新版」である事由

【24. 2.20】場面(11)追記

【24. 2.18】場面(): 本然の性の由来(「所有という概念を持たない」が故)を追記しました。

【24. 2. 9】場面():ナガスネヒコが「神を冒涜した」ことを明記しました。

24. 2. 5】場面を10にしました。

24. 2. 4】場面を9の場面とし、次の補修をしました。

  場面():「命を頂く道具」と「命を奪う武器」を明確化しました場面():「国譲り」の定義を補修しました場面():和(倭)魂の移動という折口信夫の見解を基に補修しました。

294

295)海の向こうからやってきて日向(ひむか/現宮崎県)を治めていたイワレヒコのちの神武天皇)は、国の中心である<右図ご参照>内つ国(うちつくに/生駒山の東側/現在の生駒~奈良盆地周辺)を征服する野望を抱いた。このとき内つ国ではナガスネヒコが、イワレヒコより先に海の向こうから内つ国にやってきたニギハヤヒと共に、戦う(人間を殺す)ことのない平和なクニづくりをしていた。

77)イワレヒコは、日向を出発して九州を征したのち、瀬戸内海を東進して難波(なにわ/現大阪平野/生駒の神話が生まれた縄文時代から弥生時代への移行期、まだ大部分は海右写真ご参照>)にいたり、そこより生駒山を越えて侵攻しようとした。

78 それに対して、狩猟採集漁労に生きるナガスネヒコたちは、武器でない狩猟用の弓矢しか持たなかったので、侵攻軍を撃退するために、雨のように矢を放った。侵攻軍を射抜くためではなく、前進してくる侵攻軍の眼前に天から降ってくる矢で鉄壁の壁をつくることで、侵攻を許さない意思を突きつけ、物理的な障壁をつくるために。ナガスネヒコたちは、投石や落岩等も駆使して、侵攻軍を殺すことなく撃退した(クサカの戦い)。なおこの戦いのとき、イワレヒコの兄のイツセは流れ矢にあたり、復讐の怒りをたぎらせたため免疫力・抵抗力が低下して、その傷がもとで後日死亡した。

)内つ国征服に執着する侵攻軍は、太陽に向かって進んだので撃退されたと思い、迂回して南東方向から太陽を背に内つ国に侵攻せんとした。

)侵攻軍は迂回ルートを進む途上、その先々で、食糧・寝所・休養所等を得るために、ナガスネヒコたちと同様にこれまで戦う(人間を殺す)ことのない世界に生きてきて戦うことなど知らない狩猟採集民を一方的な攻撃や謀略によって殺戮(食べるため以外の目的で殺すこと)した。

侵攻軍が殺戮しているという知らせを受けて怒りをたぎらせたナガスネヒコたちは、再び侵攻軍と会いまえた時(トミの戦い)、侵攻軍をせん滅(殺戮)せんとして、食べるために動物の命をいただく狩猟の道具である弓矢を人間の命を奪う武器に変え、彼らは軍隊に変質した。

)ナガスネヒコ軍が侵攻軍をせん滅せんと矢を一斉に放とうとしたまさにそのとき、ナガスネヒコたちのトーテム(守護神)である金の鵄とび(金鵄きんしが突然に飛来、激烈な閃光を放ってナガスネヒコたち全員を打ちのめし、殺戮の武器と化した弓矢をはく奪して殺戮を阻止し、殺戮することで堕落することからナガスネヒコたちを守った。侵攻軍もまた、命の尊厳をないがしろにする者を許さない金の鵄の激烈な畏敬の力で全員が打ちのめされひれ伏し改心した。金の鵄は、殺戮で堕落していたイワレヒコたちをも救済したのである。その後の三者の

話し合いの結果、ニギハヤヒは平和なクニづくりを行うという「約束」の下に、イワレヒコに内つ国を国譲りし、イワレヒコは神武天皇として即位

 ニギハヤヒは即位する天皇に(わ・やまと/のちの大和→日本)を治める和魂敵対するものを融和させ、争いを治める魂/「非戦・避戦の精神」と言い換えることができる)を付与するモノノベの祖となった。

   (「国譲り」とは、クニ(住む場所)を必要とする人々にそれを与えて共に生きていくこと。

指導者の資格は、殺戮をしない・出来ない精神たる縄文人の本然の性を失い、命をいただくために神から授かった弓矢を武器に変質させて神を冒涜したナガスネヒコから、改心することで和魂を付与される資格を得たイワレヒコに移ったため、ナガスネヒコは内つ国を去った。ニギハヤヒ、その妻にしてナガスネヒコの妹であるミカシキヤ姫とその子のウマシマジをはじめとするナガスネヒコを愛する全ての人々に見送られて・・・。

10)イワレヒコとその部下たちも全員、北へ去るナガスネヒコを見送るべく集合した。そのとき、金の鵄が再び飛来し、空中よりイワレヒコたちに告げた。〈者どもよく聞け!「約束」を破ることあらば、いつでも我はナガスネヒコとともに舞い戻り、そなたちを打ちのめすであろう!!」そう告げると金の鵄はイワレヒコの肩にとまった。イワレヒコたちは、 「約束」を必ずや守るとの意を表するためひざまずきながら、ナガスネヒコと金の鵄をいつまでもいつまでも見送った・・・・・。

11)後世、人は、イワレヒコとニギハヤヒは「命(みこと)」、すなわち「良き三事(みこと/口・体・心)=良き言葉・良き行動・良き精神」を持つ者、と呼ぶが、ナガスネヒコは自らが「命」と呼ばれることは潔しとはしない。そのため人はナガスネヒコを「命」とは呼ばない。しかし人は、ナガスネヒコこそ真の「命」であることを知っている。

 

「生駒の神話研究会」の訴え  

リンクイスラエルのガザ侵攻についての訴え

 「国家はなにがしかの国民の物語を必要とする」<日本人が意外と知らない「戦前の正体」…「神話」からみる戦前の「本当の姿」ミラーより>そのため、戦前では「神武東征神話」(西からやってきた神武天皇がまつろわぬ者たちを征服して即位し日本を建国した、とするもの)が「国民の物語」(国民のアイデンティティの物語)とされ、これに加えて、天皇は現人神であり「日本は神国」で、その栄光は世界に及んでいるという物語がつくられ、それがアジア侵略を正当化・推進し、あげく亡国(大日本帝国の崩壊)をもたらした。

 かかる「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は8世紀初頭に「記紀(古事記・日本書紀)」を創作した時の世俗権力者によって、それまで言い伝えられてきた神話を改ざんして捏造された神話である。「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は戦後になっても「国民の物語」 であることが否定されていない。それは、再び戦前の誤りを繰り返す要因となる。「新しい戦前」が始まった今、一刻も早い、改ざんされる前の神話である「生駒の神話」を復活・普及させ、これを日本の未来を切り開く、新しい「国民の物語」にしなければならない。戦前流布された「神武東征神話」は戦後「皇国史観」と共に破棄されるべきであったが、今も根強く残っている。神武東征神話」というナラティブは、神武東征神話」へと改ざんされる前の元の神話である 「生駒の神話」というナラティブにとって替えられなければならない。

 このページミラーには、次のように書かれている(太字は引用者による)。

 戦後民主主義の永続・発展を望むにせよ、21世紀にふさわしい新しい国家像を描くにせよ、自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたってもきわめて中途半端なかたちで立ちあらわれてくるのだ。

 (

生駒の神話は、以下のことを物語にしたものである

 西からやってきた(侵略してきた)後期渡来人が、先住民前期渡来人を征服して国家を建設せんとした。先住民と前期渡来人は侵略者を殲滅(殺戮)することもできた。しかし、2つの理由でそれはできなかった。①「殺戮は不可能」というのが先住民の「本然の性であったこと。②先住民が「本然の性」を捨て去って侵略者を一旦殲滅しても、歴史の流れ(必然性)は国家建設」の時代の到来であり、この流れは 、国家殺戮を含む「強制力=暴力・武力」を属性とする)をつくろうとする者を何回殲滅しても止めることは不可能であったこと。

 ならば、国家をつくろとする者に、先住民の「本然の性」を受け継ぐことを条件に国づくり(これは現実的には「国家」づくりとなってしまうが<>)を委ねた(これを「国譲り」という/出雲神話では、先住民の「本然の性」を受け継ぐという条件の見える化として、国を譲るかわりに出雲大社をつくれという条件がつけられたことは有名)。

   <重要 ⇨「国」には、「くに」と「国家」の2つの意味がある

 こうして、後期渡来人は先住民の「本然の性」を受け継ぐという約束の下に国づくりを進めることとなった。その国の首長はやがて大王(おおきみ)、更には天皇と呼ばれることとなる。こうして、先住民の「本然の性」を受け継ぐ国、つまり、殺戮をしない国、言い換えると、 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」を宿す、やがて日本と呼ばれることになる国が成立した。

 以上、「条件付き国譲り」によって、のちに天皇とよばれる首長が治め、のちに日本とよばれる国が成立した。このことを後世に伝えるべく成立した物語が、生駒の神話である。

日本という「国・天皇制国家」の成立

 生駒の神話が伝えている通り、のちに天皇とよばれる首長が国づくりをおこなっていったが、それは、矛盾する行為だった。「殺戮は不可能」という先住民の「本然の性」を保持しながら「殺戮を属性」とする国家をつくるという行為だったからだ。この矛盾は、国家の体制整備が進むにつれて大きくなっていく。

 しかし、矛盾は弁証法を発動させる。「殺戮のない国づくりをめざす<テーゼ>→弥生時代(農耕・牧畜の開始で私有財産制が発生し、豊かなものが財産を守り拡大するために統治者となってその他の人々を統治する国家成立の時代)以降にあっては、国づくりは殺戮を属性とする国家づくりとならざるを得ない<アンチテーゼ>→この矛盾を乗り越えんとする「目に見えざる力」(人々はこれを神、あるいは神的力ともいう)が働き<アウフヘーベン(ものごとを高次元に押し上げること)が起こり、世俗権力者(殺戮を含む強制力で人々を統治)が殺戮しないように牽制する(それは「人々の幸せを祈る」という祭祀をおこなう権威性・畏怖性を持つ存在を世俗権力者に見せつけることでおこなわれる)祭祀首長が寄り添う、「(世俗権力者が統治する) 国家・(祭祀首長が寄り添う)国」が成立し、祭祀首長は天皇と呼ばれるようになった<ジンテーゼ> 。これが日本という「国・天皇制国家」の成立過程となった。なお、日本という国号がいつ定められたかについてはこのような説があるが、天皇制国家がいつ成立したかについては定説がない。「記紀リテラシー」(世俗権力者の創った「記紀」の捏造部分と史実を反映している部分を厳密に検証すること)も励行しながら、このようなミラー研究が進むことを期待したい。

 天皇制国家とは、国家には違いないが、「天皇が殺戮のない国づくりをめざす」(物事は名前をつけないと概念化、つまり存在化しないので、これを「天皇の約束」と呼びたい)という性質をもつ国家のことである。そこでは、〈不親政」と「刃に血ぬらざること」こそが天皇の伝統〉<このページミラーより/太字は引用者による>である。なお、この文.pdfには〈国史の全体を通観しても天皇の不親政は天皇制の特質である〉と記されており、Wikiにも〈・・・・・吉本隆明は、歴史的に天皇制の大半は宗教的権威であり・・・・・天皇の世襲における祭儀の本質・・・・・の根底には農耕祭儀がある・・・・・と述べ・・・・・梅原猛は、「天皇」という言葉ができた8世紀の推古天皇頃から天皇は宗教的色彩が強く、律令時代でも天皇の政治的権力は排除されており・・・・・天皇は実際の権力を持たなかったから存続でき・・・・・天皇は初めから象徴・・・・・と述べた・・・・・。〉と記載されています(太字は引用者による)。

補足>(降順)

)「建国記念の日/2月11日」(「建国記念日」ではないご参照.png>)には、「神武東征神話」ではなく、建国神話である「生駒の神話」を思い出そう。

)天皇は「人の上に立つ人」であり、不平等の根源という見方もできるが、総理大臣・最高裁長官・衆参両議院議長が「人の上に立つ人」ではないのと同じ意味で「人の上に立つ人」ではない。また、天皇制は世襲制だから反民主的だという見方もできるが、世襲制が問題となるのは、世襲しても良いだけの能力がない者が世襲するとか世襲者が人格的に疑問点が付くなどのときであって、それ以外の場合は、後継者争いが避けられるとか、後継者は後継することが決まっているので幼いころから後継準備ができる<などの大きなメリットがある(この点で、愛子内親王の女性天皇への道は切り開かれるかという問題の早期決着が喫緊の課題である)。代々後継ぎのみに伝統の技を伝える「一子相伝」や歌舞伎などをみれば世襲制の方がよい場合もあることがわかります。祭祀首長(天皇)は世襲制でないと維持はできないでしょう。なお、天皇は「万世一系」というのも捏造された物語です。

   <>・・・・・前天皇〈平成天皇:引用者)は、1945年8月の敗戦の日を「いまは日本のどん底」として、「つぎの世を背負って新日本建設に進まなければなりません。それもみな、私の双肩にかかっているのです」と、作文に書いたという・・・・・11歳の少年がこのような決意を持っていたことは、痛々しく感じられる。だが、生まれたその日から、逃れられない運命と教え込まれ、運命を背負う覚悟を固めていなければ、天皇としての立場を全うすることは難しかったにちがいない。新天皇のもとでは、「私は必ず天皇になる」との自覚を植えつけられてきた後継者は存在しない。次の時代に、そのことはどのような影響をもたらすのだろうか・・・・・・。<この記事ミラーより>

 明治・大正・昭和天皇の「天皇の約束」実現努力については、こちらをご参照ください。

 

生駒の神話<提要>

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(これまでの最新の研究成果をコンパクトにまとめています。)

記紀(古事記・日本書紀)に記されている「神武東征」神話のあらすじ

   九州にいたイワレヒコは、ニギハヤヒが治めている内つ国(うちつくに/生駒山の向こうにある日本の中心現在の生駒から奈良盆地)に国をつくるため、瀬戸内海を東に向かい難波の海の東海岸に上陸して生駒山を越えようとした。しかし、ニギハヤヒの盟友である長髄彦ナガスネヒコ別名登美彦登美毘古)によって撃退された(クサカの戦い)。東に向かって進軍したのは太陽に逆らうことになったので敗退したと考え、紀伊半島を迂回して熊野付近より太陽を背にして侵攻せんとした。迂回の先々で、先住民を平定しながら、内つ国の南東に到着し、再度長髄彦と会いまみえた(トミの戦い)が、今度も苦戦した。そのとき、金色の鵄(トビ)生駒の地を飛び立ち突然に飛来して閃光を放って長髄彦をして戦わさせなくし、ニギハヤヒが国を譲り、イワレヒコは神武天皇として即位した(長髄彦は、紀ではニギハヤヒに殺害されたことになっているが、記ではその最後の記載がない)。

】「神武東征」神話については、次のような意見があります。253

 ①〈神武天皇の方が侵略者という見方もできる〉<右記の画面(この動画より)ご参照>

 ②〈金色の鵄は、本来は長髄彦の側のトーテム(神)〉(「生駒市誌Ⅰ」P.79)

 ③〈神武東征の際に河内の生駒山麓で頑強に抵抗した先住民とは一体何者であったのか(略)この点を不問にしているため、さまざまな重要な問題が不明のままに歴史の闇に葬りさられてしまっている〉(谷川健一「隠された物部王国『日本(ひのもと)』」)/〈神武天皇にもっとも頑強に抵抗し(略)たほどの登美毘古の最後がはっきりしない〉(直木孝次郎 「日本神話と古代国家」

】「生駒の神話研究会」で「神武東征」神話の登場人物・その舞台等について記された資料を読んで(2)の意見を念頭に考察を進めたところ、次のような見識を得ました。

(1)3つの人々がいた。

 ①長髄彦は先住民(縄文人/早期渡来人と共存したので、彼らも神話上は出雲族と呼ばれる)・・・食料不足防止のため余分に動物を殺すことは出来ないのと同様に、‹生きていくうえで不可欠な仲間である人間を殺すことはできないというのが「本然の性(根本の性質)」である人々で、国家(統治機構/「権力=強制力」の機構をつくること(つくる必要)はなかった人々

 ②ニギハヤヒは早期渡来人(早期弥生人/神話上は出雲族と呼ばれ、彼らの神々を国津神という) ・・・国家をつくるために渡来したのではないので平和的に渡来し、縄文人とすぐに共存できた。

 ③イワレヒコは後期渡来人(後期弥生人/神話上は天津神の子孫で天孫族という)・・・国家をつくるために渡したので、それは侵略というかたちをとった。

(2)内つ国は「くに」(人々が暮らす場所/country)であって「国家」(人々を統治する機構/state)ではなかった。

   <ポイント(重要「国」には、「くに」と「国家」の2つの意味がある

(3)長髄彦はクサカの戦いではイワレヒコ軍を殺さずに撃退した 。しかし、トミの戦いでは、う回の先々で人間を殺すことを知らない縄文人の仲間たちを殺したイワレヒコ軍に対する怒りのあまり「本然の性」(これは、「非戦・避戦の精神」といえる)を喪失してイワレヒコ軍を殲滅せんとした。そこで、長髄彦の守護神である金色の鵄が飛来して、長髄彦を閃光でうちのめして、殺戮(食べるため以外の目的で殺すこと)して堕落しないように守護した。

    <>イワレヒコ軍は殺傷力の高い鉄製の大きな鏃(やじり)の弓矢を用いたのに対し、ナガスネヒコ軍は殺傷力の低い石製の小さな鏃の弓矢しかなかったし、しかもそれは人を殺傷してはいけないものだった(弓矢ご参照)。従って、ナガスネヒコ軍の戦いはこんな戦い.png<画像をクリックすれば拡大できます>だったと思われる。

(4)長髄彦をうちのめした閃光は、殺戮をくりかえして堕落していたイワレヒコの心をも射抜き、イワレヒコをして心の底から改心させ「非戦・避戦の精神」を獲得せしめることで救済した。その意味で、金色の鵄はイワレヒコの守護神ともなったのである。

(5)その後、(1)の3者は話し合い、次のことを決めた(話し合いの内容は現代文にして記しています)。

  これからは国家が成立していく時代となる。国家は強制力(その最大は殺戮)を属性とする。これからの指導者はこの属性を制御できる、それがかなわなくとも最大限それに努力する、殺戮は絶対しない者でなければならない。国家成立の時代にあって、縄文人は 長髄彦がそうであったように「本然の性」を喪失していく恐れがある。一方、イワレヒコは殺戮の心を除去し「非戦・避戦の精神」を獲得した。これからは、長髄彦のような「殺戮の心を起こす可能性ある者」ではなく、改心後のイワレヒコのような「殺戮の心を起こす可能性のない者」こそ指導者になって国づくり(「くに」づくり・「国家」づくり)をするべきだ。そこで、次のようにする。

 ①イワレヒコは天皇となって「非戦・避戦の精神に基づく平和な国づくり」をしていくことを約束する(これを「天皇の約束」という)。

 ②①を受けて、長髄彦・ニギハヤヒはイワレヒコに「国譲り」する。

 ③②を受けて、

  ・イワレヒコは、初代天皇として即位した。

  ・ニギハヤヒは。物部氏となって、天皇の身体に「和魂(倭を治める魂)」(=非戦・避戦の精神)を附着せしむる祭事(大嘗祭)を司ることとなった(この記事ご参照)。

  ・長髄彦は、指導者の地位をイワレヒコに譲るため東北に去った。このことが、のち、長髄彦の子孫がアテルイ生駒神話の小辞典ご参照)となったとの伝承を生む。

(6)「神武東征」神話は、ニギハヤヒ(弥生人)と長髄彦の妹のミカシキヤヒメ(縄文人)が婚姻してウマジマジ(日本人)が生まれた、との逸話は「生駒の神話」から引き継いだが、縄文人と弥生人とが出会い融合していく中で「里山」が生まれてきた、との描写は引き継がなかった。 生駒の神話は縄文から弥生への移行期における里山の誕生の過程を反映したもの.pdfご参照

】【3】のことが、記紀の作者によって「神武東征」神話へと改変された「生駒の神話」の復元内容です。それらを盛り込みながら生駒神話の概説をまとめました。

】神話は、文字による記録ができなかった時代の大切な出来事を後世に言い伝えるために成立するもので、「生駒の神話」は、縄文時代(国家のない時代=殺戮のない時代)から弥生時代(国家が成立していく時代=殺戮が起こり得る時代)への移行期の次の大切なことを後世に伝えるために成立した。

先住民(縄文人)と渡来人(弥生人)とが出会った

)(1)により、縄文的要素(紅葉狩りが象徴)と弥生的要素(お花見が象徴)が融合して、里山の景観を持つ日本というくにが形成されていった(日本の誕生) 。

)先住民と渡来人は抗争することもあったが、結局は、ニギハヤヒとミカシキヤヒメとが婚姻したように融合し、日本人が形成されていった。神話は、ウマジマジが生まれたことでそれを象徴させている。

)(3)の中で、縄文人の「本然の性」が「非戦・避戦の精神(戦わず、戦いを避ける精神)」として日本人に受け継がれて、それは日本人集合的無意識となっていった。そして、国家が不可避的に持つ殺戮という属性を制御するべく(=「天皇の約束」を果たすべく)弥生時代(国家なるものが成立していく時代)のある時期に天皇制」が成立した。

以上の動きの先進地は生駒であった。そのため生駒は、「最古の里山」といわれ、下記のように「日本の元」とされている(・・・は省略部分)。

254    ・・・「国生み(吉波:日本という国の育くみ)」の豊秋津洲(吉波:とよあきつしま/日本の元となったところ)とは・・・当時は・・・ほぼ島に近い半島・・・の生駒・・・」(嶋 恵「古代の地形から『記紀』の謎を解く」)<右の地図をご参照>

天皇制の歴史  天皇制について詳しくはこちら

)天皇制成立後ほどなく、「国家」づくり(執政)の方は世俗権力者蘇我氏・摂関家・将軍・総理大臣等/後鳥羽上皇のように反乱を起こすような天皇を退位した上皇もこちらに入るだろうがそれをおこなうようになり、天皇は不執政(「国家」づくりはせず、平和「国」になるための祭祀をおこなった)となった。「天皇の約束」を果たさなければならない天皇は、殺戮を属性に持つ「国家」づくりはできなかったからである。こうして、「天皇の約束」を見える化して保持するため「刃に血ぬらざる伝統」とそれを維持するための「不親政の伝統」が天皇制の2つの柱となった<>。

   <>・・・・・天皇不親政こそ天皇政治の伝統・・・・・天皇政治には「刃に血ぬらざる伝統」がある・・・・・。<石井良助「天皇の生成および不親政の伝統」より>

)(1)の2つの伝統は日本人の集合的無意識となっている非戦・避戦の精神をときおり顕現化させ、そのことは「非戦・避戦の精神の系譜」(非戦・避戦の精神に記載)を生成させた。

)(2)の系譜の流れは、天皇の本意に反して強行されたアジア太平洋戦争の敗北を機に1946年10月、天皇が平和憲法を裁可することで 「天皇の約束」が一旦は実現する(平和憲法の制定)ところにたどりついた(この間の経過は「天皇の約束」の実現をご参照)。

)だが、その瞬間から世俗権力者は憲法の殺戮制御力を無力化させる企て(改憲を開始したものの、戦後70数年間、「天皇の約束=平和憲法」を守り実行していく努力・闘いがおこなわれてきたので、その企ては成功していない。日本人が縄文人より受け継いだ「非戦・避戦の精神」が戦前のように権力者によって抑え込まれていないからである。この努力・闘いは、物理的暴力(軍事力)の独占を不可欠の条件とする(軍事力=殺戮を属性とする)「国家=世俗的権力」が存在する限り(=死滅するまで)、続いていく。これは現在は「武力行使なき内戦」というかたちでおこなわれている。天皇家も別個に進んで一緒に闘っている戦後天皇家の「生命・環境・人権よりも経済・軍事・統制を優先する」動き・勢力との闘い) 。この努力・闘い は果てが見えないが、その持続可能性を後世の人々に与えるために天皇制をナガスネヒコが用意してくれたと思わざるを得ない。だが、「新たな戦前」が始まったとの声もある。「非戦・避戦の精神」が再び抑え込まれ、「天皇の約束」が反故(ほご)にされるとき、再び戦争が到来することになる。 

余録富雄丸山古墳について>

 今年1月26日の毎日新聞の記事ミラーは、次の①のように伝える。

 ①‹富雄丸山古墳がある奈良市の富雄付近は(略)長髄彦(ながすねひこ)の拠点だったとされ(略)市埋蔵文化財調査センターの鐘方(かねかた)正樹所長は「地元ではこの古墳を長髄彦の墓と信じる人もいる。今後の調査で木棺から勾玉(まがたま)が出れば、鏡、剣と三種の神器がそろうと思うとロマンを感じる」と話した。〉

 ②①の記事を踏まえれば、富雄丸山古墳で今後勾玉が発見されれば「当時最大の指導者であった長髄彦を埋葬する日本最大の円墳に天皇の御印である三種の神器が埋蔵されていた」ということになる。

 ③②に基づいての推察⇒長髄彦は最高指導者であったが、「天皇の約束」をかわすことでイワレヒコに(天皇の御印としての)三種の神器を授けることで初代天皇(最高指導者として日本という国づくりを始める者)の地位を与えた(国譲り)。なお、イワレヒコは長髄彦の拠点たる奈良盆地北西(現生駒~奈良市西部)を避けて奈良盆地南東(現橿原市)で初代天皇として即位した。

 

 

生駒神話<概説>(2023.1/随時改定)

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 日本人にとって最も大切な神話が「生駒神話」。これは、日本国家確立期に、当時の世俗権力者(=祭祀権力者たる天皇と区別してこういわれる)によって「神武東征神話」へと改ざんされた上で古事記・日本書紀に記された。元の姿の詳細は、生駒の神話に記載されているが、簡潔に述べると、下記の<骨子>の通りである。

 この神話は、日本が、縄文時代(国家のない時代)から弥生時代(殺戮を属性とする国家が成立していった時代)に移行していく中にあって、人々の今後の歩むべき道を示し、それを後世にも伝えるために成立した。

 登場人物

  <紹介 その1この神話の主人公は3人。ナガスネヒコ国家意識は皆無で、殺戮を知らない・出来ないが本然の性の先住民たる縄文人を人物化したもの)、ニギハヤヒ国家意識はあるが小さい前期渡来人ー前期弥生人-を人物化したもの)、イワレヒコ国家意識が強烈で、国家をつくり維持強化するためなら殺戮はいとわない後期渡来人ー後期弥生人- を人物化したもの/即位して初代天皇となる)

  <紹介 その2

   ナガスネヒコ ・・・列島先住民(縄文人)を体現/狩猟漁労採集経済のために私有意識がないがゆえに国家意識(国家をつくろうという意識)も皆無

   ②ニギハヤヒ・・・初期の半島から列島への渡来人(初期弥生人)を体現(スサノオの子または子孫/スサノオの子または子孫であるオオクニヌシと同じとも考えられている)/初期の農耕民であるがゆえに私有意識が希薄なため国家意識も希薄で、それゆえ、列島先住民とはすぐに(円滑に)共存できた。

   ③イワレヒコ・・・後期の半島から列島への渡来人(後期弥生人)を体現(天孫=アマテラスの子孫)/後期の農耕民であるがゆえに私有意識が強烈なため国家意識も強烈で、それゆえ、列島先住民と抗争(これを見える化したのがクサカの戦い・トミの戦いという2つの戦い)し、それを経なければ列島先住民と和解・共存することはできなかった/この和解・共存を見える化したのがイワレヒコによる初代天皇神武への即位。

   ④ミカシキヤヒメ・・・ナガスネヒコの妹/ニギハヤヒと結婚することで、縄文人と初期弥生人との円滑な共存を見える化した。

   ⑤ウマジマジ・・・ニギハヤヒとミカシキヤヒメの子/縄文人と弥生人の共存によって日本人が形成されたことを見える化した。

生駒神話の<骨子>

)ニギハヤヒが海のかなたから現在の生駒北部に渡来し、ナガスネヒコに自分たちの居住地を提供してくれるように依頼した。ナガスネヒコはそれに応え、両者は話し合い、縄文人はこれまで通りや川で狩猟漁労採集を主とする生活を営み、前期渡来人は畑に適した場所で水田耕作を主とする生活を営み、両者はお互いの恵みを交換していくことにした。このような人々の結びつきは、古代的・封建的な「服従と保護」や資本主的な「貨幣・商品の媒介」ではない「互酬(贈与と返礼) 」と呼ばれる(ご参照.jpg)。この神話が後世に伝えたいことの1つに、本来の人間の交換様式(結びつきの様式)は「互酬(贈与と返礼) 」であり、それを未来の人類は再び取り戻すだろう、ということである。なお、この様式は、縁起の法(すべてのものはつながり互いに助け合っている、との法)の風がそよぐ中で行なわれる。

こうして両者は共存・共栄していくことで日本人が形成されていった。それをこの神話は、ナガスネヒコの妹の縄文人たるミカシキヤヒメ(ミカシキヤは漢字で「御炊屋」で 「の木ででとれた米を煮たきする大切な所」の意)と弥生人たるニギハヤヒが婚姻し、いわば縄文人と渡来人のハーフたる日本人としてのウマシマジが誕生した話を添えることで見える化している。そして、縄文人と渡来人(弥生人)が共存・共栄することで縄文的要素と弥生的要素が融合して 里山が成立し、現在の奈良盆地方面に広まっていった。この神話は、日本の原風景である里山はいかにして誕生したかを後世に伝えるためにも成立した。

生駒北部は、4河川の源流・分水嶺地帯であり日本の中心であった(ご参照/それを示すのが、この地域はこの神話の主人公3人の遺跡がある場所.pngということ)。この日本の中心と里山が広まっていたその南東の奈良盆地に目をつけたイワレヒコは、そこに日本国家をつくるため現在の九州より瀬戸内海を東に向かって侵攻、大阪湾の東岸にして生駒山の西麓(当時は生駒山西麓まで海が迫っていた/この写真に写っている大阪平野は海であった/古代日本の地形想定地図奈良湖河内湾ご参照)たるクサカ(現在の東大阪市石切付近)より生駒山を越えんとした。これを、殺戮を知らない・出来ないを本然の性とするナガスネヒコは殺戮をしない戦法で撃退した(クサカの戦い)。殺戮をしない戦法とは、例えばこのようなものであり、敵軍の侵攻方向前面に矢を嵐のように放って分厚い矢襖を構築するというもので、いわば攻撃武力なき専守防衛であった。縄文人の矢の材料は石鏃(せきぞく)と枝木であり、これは無尽蔵にあり、ナガスネヒコは子どもまで動員して大量の矢を用意していた。なお、縄文人にとって弓矢は①狩猟道具=命をいただくためのもの」として神から賜ったもの殺戮に用いることなど考えもできないことだったし、②矢の先端につける鏃(やじり・ぞく)も殺戮用の鉄製の鏃(やじり)ではなく(ご参照) 、①という性質からしても②という機能からしても、殺戮用に用いることはできないものだった。

)イワレヒコは、太陽に向かって侵攻したから敗北したと考え、今度は太陽を背にして侵攻せんとし、現在の紀伊半島を半周して現在の熊野付近に上陸、そこより北上、途上、各地の縄文人を謀略等も駆使しながらほとんど皆殺しにしながら進軍した。その情報を聴いたナガスネヒコは怒りに燃え、再度軍を進め、奈良盆地南東部分のトミでイワレヒコ軍を迎えた(トミの戦い)。イワレヒコ軍を見たときナガスネヒコは、更に怒りをたぎらせ本然の性を喪失した。その瞬間彼は、背後で何かが光るのを感じた。だが振り返ることなく全軍に、神から賜った弓矢を武器に変え、イワレヒコを殲滅(皆殺し)するよう号令を発しようとした。そのとき、奈良盆地を縦断して飛来した(ご参照)ナガスネヒコの守護神たる金の鵄とび金鵄きんしが激烈な光をナガスネヒコ軍に放った。全員、弓矢を奪われ、ある者は空に舞い地面に叩きつけられ、ある者はその場に強烈に押し倒され、ある者は大木にぶち当てられ、激烈な痛みに打ちのめされた。一方、イワレヒコ軍も激烈な光に心身を射抜かれてその場に立ち尽くしたまま、ナガスネヒコ軍が打ちのめされた光景を見て、殺戮せんとすることの畏(おそ)れに打ちのめされ、激しく震えていた。金の鵄は、ナガスネヒコが本然の性を失い殺戮することで堕落しないように防ぎ本然の性を取り戻させて守護し、イワレヒコも更に殺戮を重ねて更に堕落を深めていくのを防ぎ反省させて守護した。

)その後、ニギハヤヒの仲介で、ナガスネヒコとイワレヒコは和平協議に入り、イワレヒコが謝罪をしたうえで話し合いをした。その結果どうなったか、その後どうなったかは、次の①と②をご参照。この神話は、話し合いに始まり、話し合いで終わる神話であったと言える。

 ①「生駒の神話」のストーリー(骨子)<2020.4>

 ②弁証法で読み解く「天皇制の起源」・「イワレヒコの高貴な精神の獲得」

)話し合いによって、イワレヒコは「天皇は殺戮のない国づくりをしていく」ということをナガスネヒコに約束した。これを「天皇の約束」という。では、天皇はそれを果たすよう努力してきたか? その答えは「YES」である。それは、天皇制【2】「天皇の約束」を読めば分かるでしょう。

この神話の意義

 大切だが理解しがたい事件を「(単に表面的でなく)本質的に」「わかりやすく=おもしろく」説明し、それを後世に伝えるためのものが「神話」である。

 日本人にとって最も大切な神話が「生駒神話」。これは、日本国家確立期に、当時の世俗権力者(=祭祀権力者たる天皇と区別してこういわれる)によって「神武東征神話」へと改ざんされた上で古事記・日本書紀に記されたが、生駒神話研究会によって元の姿に復元された。それは、生駒の神話に記載されている。簡潔に述べると上述の<骨子>の通りであるが、この神話は、日本人にとって大切だが理解しがたい次のことを、本質的にわかりやすくおもしろく説明し、後世に伝えるために成立した。

 日本先住の縄文人と渡来の弥生人との出会い・衝突・共存 ①による里山の成立 ①による日本人の形成 ④①の中での日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」の形成 ⑤日本国家の成立 ⑤に伴う天皇制(「天皇の約束」)の成立 無国家時代(国家がない・弱い時代)の交換様式(人々の結びつきの様式)は「互酬(贈与と返礼) 」(ご参照.jpg) であったこと。

 

 

 

縄文人の「本然の性」

縄文と弥生に戻る

)「本然の性」とは、本来からの当然の「性質=身魂(みたま/体を支える心/様態を支える精神)」であり、縄文人の「本然の性」とは、次のようなものである。

 ①食料不足防止のため余分に動物を殺すことはしない・出来ないのと同様に、〈生きていくうえで不可欠な仲間である人間〉を殺すことはしない・できない。

 ②狩猟採集という獲得経済>のもとでは、生命の源たる食を生産する必要はなく、従って農耕牧畜という生産経済>とは違って土地の所有が必要ないため「所有」という概念がないので、争いの元となる物の「所有」がないため、物を取りあいする争いに勝つために「他の人間を殺す」という概念も生まれないため、人間を殺すことはしない・できない。

  <獲得経済と生産経済

)(1)のことから、縄文人の「本然の性」を一言でいうと、「殺戮しない・出来ない精神」となる。

)「本然の性」の詳しい説明 ⇨ ナガスネヒコの守り神「金の鵄」はなぜナガスネヒコが戦うのを止めたのか?ご参照

内つ国(うちつくに)/中洲(なかつくに・なかす・ながす)

〇内つ国とも中洲ともいう

78 〇国の中心(のち、大和やまと/ヤマトと呼ばれる)/生駒山の東側/現在の生駒~奈良盆地周辺) ⇨ 右地図ご参照

〇都のある国(大和国/倭やまと)、都に近い地方(畿内・近畿地方)や外国に対して日本の国をいうときもある

南北2つの鳥見とみ(登美とみ)は中洲(大和)の入り口にあたる(この地図.jpgご参照)。この2つを抑えることで中洲(大和)を治めていた首長が鳥見(登美)彦・中洲なかすね/ながすね(長髄ながすね/なかすね)彦であった。「根」は根本・基礎という意で、中洲根彦というのは、中洲(国の中心)の根(根本・基礎)をつくった彦(おおいなるひと・すぐれたひとという意味を持つ。  

 なお、北の鳥見(登美)は長髄彦の本拠地であり、その守護神(金の鵄トビ)の発祥の地であり、南の鳥見(登美)は長髄彦軍とイワレヒコ軍が再度あいまみえ、金の鵄が飛来したところである。

 

命をないがしろにする者は罰を受ける

 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」に戻る

 生駒の神話では、ナガスネヒコイワレヒコ殺戮せんとして打ちのめされるという「罰」を受けた。

 これは、①命をないがしろにする者は罰を受けるという教えとなり、それはその後、〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにしたことでわざわい(禍・災 い・厄)を受けてきた体験の蓄積が、②〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにすると怒りをかって「罰」を受けるという教えとなり、①と②は、日本人の集団的無意識となっていった。

 この無意識は、 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」と連動したもの。

 この無意識が顕現化した事例として、「太陽の塔」の永久保存がある(岡本太郎「太陽の塔」はなぜ永久保存されることになったのか?.pdfご参照)。

「天皇の約束」実現努力

「生駒の神話研究会」の訴えに戻る  生駒の神話<提要>に戻る

明治・大正・昭和天皇は「天皇の約束」を果たすため苦悩した。

 ①そのことがこの文<開戦の詔書 天皇の真意は何だったのかミラー> に、次のように示されている(・・・は省略部分)

   昭和天皇・・・は・・・詔書の文中に「豈(あに)朕(ちん)が志ならんや」との字句を入れ、自らの本意ではないとして開戦への葛藤の意を示した・・・「朕が志ならんや」との文句は宣戦の詔書の決まり文句で、 日清、日露戦争時の詔書にもあった・・・開戦の詔書が天皇の「真意に背いて」出された・・・。⇦ 引用者:世俗権力者は「天皇には云わせるだけ云わせておけ」という天皇をないがしろにする態度をとり、国民も排外主義に陥り天皇の言うことに耳を傾けなかった。

 ②〈この国は、江戸時代には、ただの一度も国家として対外戦争を体験していないという、世界に冠たる名誉を持っていた・・・・・朝廷は、江戸時代には戦争と縁遠い存在であった。その余韻もあって、明治天皇が日清戦争時には当初、いわば、「これは朕(ちん)の戦争ではなく、政府の戦争だ」と述べたのは有名な話である。日露戦争の時も、感情を表さず、推移を見ていたという・・・・・大正天皇にしても、むしろ「武」よりも「文」の天皇であった。その漢詩は、近代日本では最高峰に位置しているともされるほどだ。大正天皇は大正7(1918)年頃に詩作をやめたが、それは第一次大戦などでの人々の苦労を実感していたからであろう。昭和天皇も、戦争に当初は極めて臆病であった。しかし大元帥としての教育を受け、軍事上は神格化した存在となって、見事に戦争へ取り込まれたのである・・・・・歴代の天皇は、江戸時代の歴史を踏まえて見ると、戦争に懐疑的だったと分かるのである・・・・・NHKが探し出したとされる海軍側の2・26事件についての記録などからも、天皇がこの種の事件に本能的な恐怖感を持っていたことがうかがえる・・・・・。〉<・・・・・は中略部分/この記事ミラーより>

【2】明治~戦前における開戦の詔勅・・・天皇は、日清戦争は「せざるをえない」というように消極的反対の態度をとったが、日露戦争・アジア太平洋戦争については、明確に「天皇の意志・本意ではない」と宣言している。

 下記の、②と③の「開戦の詔勅(宣戦布告)」を読むと、天皇は「天皇の約束」(国家の殺戮という属性を制御して平和を維持すること)を果たそうと努力してきたことが分る。宣戦布告の中でさえ「戦争は天皇の意志・本意ではない」と言い切っている。この2つの文中の青字部分は、現平和憲法の精神とまったく同じである。

<①~③のいずれも、現代文/太字は引用者による/・・・は省略部分>

 ①日清戦争開戦の詔勅(現代文/太字は引用者による)・・・余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた・・・余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念しているのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せざるをえない・・・。(以上、この記事より/太字は引用者による )

 ②明治天皇日露戦争開戦の詔勅(宣戦布告)

   ・・・朕(吉波:天皇の自称/ちんと読む)の考えは、文明を平和的なやりかたで発展させ、諸外国との友好関係を促進することによって、アジアの安定を永遠に維持し、また、各国の権利や利益を損なわないようにしながら、末永く日本帝国の将来の安全が保障されるような状況を確立することにある。これは朕が他国と交渉する際に最も重視していることがらで、常にこうした考えに違反しないよう心がけてきた。朕の部下らも、こうした朕の意思に従ってさまざまな事柄を処理してきたので、外国との関係は年がたつにつれてますます厚い親交を結ぶに至っている。 今、不幸なことにロシアと戦う事になったが、これは決して朕の意志ではない・・・。<以上、この記事より> (吉波:これが本当に宣戦布告!?)

 ③昭和天皇英米との開戦の詔勅(宣戦布告)

   ・・・そもそも東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与する事は大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、 私が常に心がけている事である。そして各国との交流を篤(あつ)くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や不幸にして、米英両国と争いを開始するに至った。誠にやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない・・・。<以上、この記事より/この文を読むと、天皇に逆らって権力者は開戦したことがわかる。日本史上、天皇に逆らって権力を維持できた権力者は1つの例外を除いてなく、この権力者も処刑された。>(吉波:これも本当に宣戦布告!?)

   なお、昭和天皇は詔勅を読んだのちしばらくして、国民に戦争をしないように呼びかけたつもりだったが理解してもらえなかった、と嘆いたといわれている。天皇は反戦を訴えたが、排外主義(開戦熱狂)に陥っていた国民は天皇の訴えに耳を傾けることはなかったのである。

【3】アジア太平洋戦争は、天皇の意に反して形の上では天皇の命令によって実行された。そのため、形の上では戦争責任は天皇にあるが、敗戦時、天皇を処断してもそれは形のことで終わってしまい、真の戦争責任者を見えなくさせてしまう。ならばどうするか。今後、天皇は決して戦争を命令しないし、戦争実行のために利用されないようにし、天皇を平和の象徴とするために憲法で象徴天皇制を規定する。そのことで、天皇は戦争責任をなし得たとする。そして、今後、天皇は決して戦争を命令しないし、戦争実行のために利用されないようにすることを担保するために、憲法で戦争放棄を規定する。このようにして、「象徴天皇制=戦争放棄」は成立し、それは、日本民族の誇り(「精神=力」)となった。そして、戦後天皇は現憲法(「象徴天皇制=戦争放棄」)を遵守する言行を行っている。

【4】「生駒の神話」が伝える〈「天皇の約束」と日本人に受け継がれてきた「非戦・避戦の精神〉が、天皇の本意に反して強行されたアジア太平洋戦争でおびただしい殺戮が行なわれたのがばねとなって「(非戦・避戦の精神に基づく)平和憲法」が制定された。日本国憲法が平和憲法といわれるゆえんは、前文や第9条によって権力が殺戮しないように権力を縛っているからである(憲法・改憲阻止ご参照)。

 1946年10月、このような国家の属性たる殺戮を制御する平和憲法を昭和天皇が裁可したことで「天皇の約束」は果された。この憲法が第1条に「(「天皇の約束」を果たそうとする)天皇は、日本国の象徴」とうたっているのは、「日本国は、非戦・避戦の精神に基づく平和な国」であることを世界に明示するためである。「刃に血ぬらざる伝統」とそれを維持するための「不親政の伝統」は、日本国憲法において「象徴天皇制」という政治形態に結実した。

【5】【3】のようにして「天皇の約束」は一旦は果された。だが、その瞬間から、世俗権力者は憲法の殺戮制御力を無力化させる企て(改憲を開始した。それから70数年、その企ては成功していない。日本人が縄文人より受け継いだ「非戦・避戦の精神」が戦前のように権力者によって抑え込まれていないからである。

 戦後の平和憲法(日本国憲法)の下で天皇は、初代天皇より代々天皇が受け継いできた「和魂(倭を治める魂)」(=非戦・避戦の精神)を次のように見える化」させた

 ①・・・・・明仁天皇は即位式で、「・・・・・日本国憲法を遵守し、・・・・」と述べた。この発言は宮内庁の用意した原文に自らが加筆したものだと言われています。「憲法を遵守し」というのは・・・・・九条のこと・・・・・・。<この文より>

 ②・・・・・天皇・・・・・は・・・・・2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し『桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています』と語った(下に<注>)・・・・・さらに10年にも、やはり桓武天皇に触れながら『多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。最初の発言は小泉政権下。日韓関係が冷え込んでいました。2度目の発言は尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた1ヵ月後です・・・・・。<この記事ミラーより>

   <>この発言の全文⇒私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています、武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解することが大切と考えます。両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っています。

 ③この場面・・・この場面についてはこの記事ご参照

 ④美智子様 陛下との「平和の祈り」に込められた改憲への「無言の抵抗」.pdf・・・この記事についてぼ論評⇒皇后と天皇の動向から護憲を訴える「女性自身」の“骨太記事”

 ⑤生駒の神話によれば、 イワレヒコは、「和(「殺戮」 がない=平和)の国をつくる」との「約束」を交わすことでナガスネヒコ・ニギハヤヒから国を譲られ、天皇として即位できた。そして、歴代の天皇候補者は「大嘗祭」においてニギハヤヒにその「約束」を確認するというかたちをとった上で天皇として即位した。だが、「武力に裏付けされた強制力=有無を言わさない無理やりの力(暴力)の担い手であった世俗権力者に妨害されて天皇は「約束」を実行することはできなかった。その結果、日本は、アジア太平洋戦争によって未曾有の大量の死者を出す「殺戮」の国となってしまった。その死者たちの無念の想いと願いを裏付けに日本国憲法が生成し、日本が再び「殺戮」の国に舞い戻ることのないよう権力者が拘束されるようになる中で、戦後天皇家は、「約束」を果たす努力を続けてきた。すなわち、折にふれては上記のような「和魂の見える化」をおこない、継続的には戦後天皇家の「生命・環境・人権よりも経済・軍事・統制を優先する」動きとの闘いを進めてきた。その戦いは、国民の武力行使なき内戦と共にある。

【5】だが、2023年に「新たな戦前」が始まったとの声もある。「非戦・避戦の精神」が再び抑え込まれ、「天皇の約束」が反故(ほご)にされるとき、再び戦争が到来することになる。

 

三種の神器  

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)<「三種の神器 —〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源」ミラーより/太字は引用者による>・・・・・ 「三種の神器」とは・・・・・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)。天皇践祚、つまり天皇職を引き継ぐときにこれらを所持することが皇室の正統たる帝の証で同時に継承される。しかし実物が天皇の手元にあるわけではなく八咫鏡本体は伊勢の神宮の皇大神宮に、草薙剣は名古屋の熱田神社にご神体として奉斎されているため、形代という分身が皇居に置かれている。唯一、玉璽と言われる八坂瓊曲玉のみ本体が宮中にあるとされている・・・・・草薙剣の由来は・・・・・スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀、天叢雲剣が後に名を変えて草薙剣となった。スサノヲからアマテラスへ奉納され、天孫降臨のさい、ニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡されたもの・・・・・敵方の、それも負けた剣が天皇家いや日本を守る宝となった・・・・・八坂瓊曲玉は勾玉とも書く。しかし“勾”という字は本来の意味で「曲る」だが、白川静の『字統』によると骨の屈折を著し「死体」を意味するという。古事記では勾玉と書かれているものが日本書紀では曲玉に書き換えられている。こういう例は倭と大和があり、卑字・凶字が吉字・好字として書き換えられた・・・・・祀るという行為は、本来「祟られないように奉る」ことである。三種の神器それぞれも、害を成したことによって祀られ、それでも祟りを恐れて八咫鏡と草薙剣は第10代天皇崇神天皇により皇居の外へ出され、やがて伊勢神宮、熱田神宮に祀られることになる・・・・・日本の基礎を築いた最大の傑物は天武天皇・・・・・新たな身分制度と、体系的な律令制を確立し、古事記・日本書紀を編纂した。そしてこの時に初めて三種の神器が制定された・・・・・。

)(1)の太字部分を踏まえて考察

 ①曲(勾)玉とは「死体」と「タマ(魂=霊)」、つまり「死者」のことである。

 ②草薙剣は負けた、つまり殺戮された者たちの剣である。

 ③鏡は古墳の副葬品であることから、八咫鏡は「死者への捧げもの」と考えられる。

 ④三種の神器は、それぞれ、害を成したことによって祀られている

 ⑤生駒の神話(生駒の神話<提要>ご参照)によれば、大和国家が後発渡来人が先住縄文人と先発渡来人の殺戮の上に立って成立するとき、天皇の約束がなされた。これは、殺戮したことを反省し、殺戮なき国づくりをしていく、というものであった。その約束を忘れないようにするため「殺戮で死んでいった者たち」を奉るために祀られるものが「三種の神器」である。

 ⑥八咫鏡が伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に、草薙剣が熱田神社に、それぞれご神体として奉斎されているということから、両神社は、平和(殺戮なき国づくり)を祈る神社となっている。

)三種の神器は、①〈宮中・伊勢神宮・熱田神宮にあるもの〉をいうが、それは「狭い意味」でのもので、「広い意味」でのものもあったのではないか。つまり、②〈①でなくても「玉・鏡・剣」の3つがそろったもの〉も三種の神器(「平和=殺戮なきこと」を祈り祀るもの)ではなかったか。この点で注目されるのが、富雄丸山古墳である。ここでは今のところ「鏡と剣 」が発見されているが、今後、「玉」も発見されれば、②も「三種の神器」であった、ということが実証されることにならないか。



大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀   

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「大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀」であることを説明する資料

 ①・・・・・麻と粟が優先されるのは、それらがこの国にまず先にあったからである。つまり、麻と粟は縄文人の象徴であり、稲と絹は弥生人の象徴であるのだ。大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀である・・・・・。<この記事より/太字は引用者による>

 ②・・・・・は、稲の栽培が盛んになる前から食料として利用され、大地の恵みの最たるもの。すなわち神前に供えて感謝する産物だった。考古学的には、日本には縄文時代から存在していたことが分かっている。この「縄文」とは、表面に縄目を記した土器に由来する。この「縄」は麻縄で付けられた。縄文時代において「麻」はそれほどポピュラーな植物だった。麻は神事でも、きわめて重要な役回りがある。神具のいくつかには必須であり、大麻でつくられた巨大なハタキのようなものによるお祓いの儀式は今も地鎮祭などで見られる。そして大嘗祭。そこでは麻の織物「あらたえ」と、絹の織物「にぎたえ」が献納される。神前に供える食物は「粟」と「稲」をともに献上する。一般的には、「大嘗祭は稲の祭祀」と思われているが・・・・・「粟+麻」と「稲+絹」の儀式・・・・・「粟」と「麻」は縄文の、「稲」と「絹」は弥生の象徴であり、「大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀」・・・・・麻は大麻でもあり、古代の人びとは麻を単に縄や衣服で用いただけではなく、「麻酔い」で神がかり状態になったり、薬にもなるという特別の効能についても知っていたはず・・・・・今度の大嘗祭に使う麻は、そのためにわざわざ徳島で種を撒かれ栽培されたもの。麻織物を手掛けるのは古代の職能集団「阿波忌部」の末裔だという。「大麻比古神社」を一宮とする徳島(阿波)における「粟」や「麻」、神事とのつながりは今も続いている・・・・・。大嘗祭は「稲の祭祀」ではなかった!ミラーより太字は引用者による

(1)を踏まえた考察

 ①弥生の精神は「水田耕作を中心とする国(瑞穂の国)づくり」であり、縄文の本然の性は「非戦・避戦の精神殺戮はできない・しない)」である。〈この弥生の精神と縄文の本然の性を併せ持つ者〉、つまり、〈殺戮を含む強制力を属性とする「国家=世俗権力の統治機構」の時代にあって世俗権力をけん制しながら「瑞穂の国」づくりをする天皇〉を誕生させるのが大嘗祭である。

 ②「天皇を誕生させる」ことは大嘗祭のページによれば、次のような言い方があります。

   新天皇の身体に天皇霊(外来魂)を付ける/「倭やまとを治める資格」を得る/「五穀豊穣=平和で豊か」を祈る「祭祀者」である資格(=天皇として即位する資格)を得る /ふすまを身につけ褥しとねに横臥する天皇に神が降臨する/天皇は「神の嫁」になる

 

鶏(にわとり/ニワトリ)

生駒検定<全国版><問21>生駒伝承解答・解説に戻る  生駒神話の小辞典に戻る

 (から)は始発記事で昇順数の小さいものから大きいものへ進む)、(以後は後発記事で降順数の大きいものから小さいものへ進む)です。

)【23.7.21】<唐古・鍵では権力のステータス・象徴たる鶏を飼育していた

 ①この記事ミラーより/太字は引用者による> 弥生時代で最大規模の集落跡として知られる唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で発掘された鳥のヒナの骨・・・・・日本最古のニワトリのものだとわかった。権力の象徴として、集落で飼育されていたらしい。ニワトリの主な祖先は東南アジアの森林に生息するセキショクヤケイ。ニワトリは約3千年前には欧州やオセアニアにもいたとわかっているが、飼育がいつごろ始まったかは謎だ。日本列島には弥生時代、朝鮮半島や中国を通じて入ってきたと考えられているが、詳細な年代は不明だった・・・・・唐古・鍵遺跡の弥生時代中期初頭のものと見られる溝から1995年に見つかった、ニワトリ、キジ、ヤマドリのいずれかとみられていたキジ科のヒナの骨2点を分析。わずかに採取した骨に含まれるコラーゲンたんぱく質の構造を質量分析という手法で調べたところ、ニワトリのヒナの骨だとわかった。炭素の放射性同位体の割合を調べる年代測定法で、この骨は紀元前3~同4世紀のものと確定した。年代が特定された日本最古のニワトリのヒナの骨になるという・・・・・弥生時代の日本にいたのは、骨の形状からほとんどが雄。繁殖させられなかったのだろうと考えられてきた。朝鮮半島や中国からもらってくるほかなく、ニワトリは鏡や剣といった宝物と同じく権力の象徴だった可能性が高い・・・・・家の中で飼っていても、鳴き声で存在を示せる。鏡や剣はずっと残るが、ニワトリは死んでしまう。新しいニワトリをもらい続けるのは大変で、「すごい」とわからせやすかったのではないか・・・・・今回の研究で唐古・鍵にニワトリのヒナがいたことがわかり、ここでは他の集落と違い、雌雄をそろってもらってきた可能性が高いという・・・・・弥生時代最大の集落である唐古・鍵だからこそ、ニワトリを雌雄で飼育することができたのかもしれない・・・・・

 ②<この記事ミラーより/太字は引用者による>日本列島で稲作が根付いた弥生時代、すでに養鶏も行われていたことが・・・・・科学分析で分かった・・・・・「唐古・鍵遺跡」(国史跡)から出土した弥生中期初頭(紀元前4~同3世紀)の鳥の骨がニワトリの幼鳥であることが判明したためだ。弥生遺跡から成鳥の骨が見つかった例はあるが幼鳥は初めてで、列島で飼育されていたとする説が立証された。ニワトリは、東南アジアに生息するキジ科の「セキショクヤケイ」が古代中国で食用などを目的に家畜化された。日本は弥生時代に持ち込まれたとされ、骨は長崎・壱岐のカラカミ遺跡、愛知の朝日遺跡などで見つかっている。いずれも成鳥の雄で、個々に大陸から持ち込まれた可能性があるため、国内で繁殖された証拠とはならなかった。 ・・・・・骨からたんぱく質のコラーゲンを取り出し、そのアミノ酸成分からキジなどの野鳥と、飼育種のニワトリを見分ける手法・・・・・で唐古・鍵遺跡から1995年の調査で出土した1羽の大腿(だいたい)骨(長さ4・5センチ)と骨盤の一部(同3・5センチ)を分析した・・・・・骨の出土例が少ないニワトリは貴重な動物だったと推測され、食用とは考えにくい・・・・・飼育目的は未解明だが、鳴き声で夜明けを知らせ、時報代わりにする「時告げ鳥」だったという説が有力だ。また、同遺跡は1991年、「楼閣」が描かれた絵画土器が見つかり、弥生時代に2階建て建物があったとして注目を集めた。その建物にも渡り鳥の飾りがついており、鳥が特別視されていたことが分かっている・・・・・野鳥と違い、ニワトリは銅鏡などと同じく、大陸からもたらされた貴重なもの。飼育によって集落内に長くとどめ、権力者のステータスにしたのではないか・・・・・。

龍田神社の鶏の話手水場ちょうずば(清めの場)の鶏像の写真(↓)あり

龍田神社の鶏.jpg

)本来鶏は、常世長鳴鳥とこよのながなきどりと呼ばれ、太陽を呼び出し、鳴声は時を知る手だてとされる有難い鳥であり(ご参照)、神の使いとして暁の声を立てて時を知らせ一切衆生の眠りを覚まし本覚の道にいれさせ給う任務を持つ鶏(ご参照ミラー)が、神功皇后の出発の時を知らせなかった(知らせることが出来ないように追われた)のは、征伐戦争否定が神意であったからといえます。

)古来から鶏は「神鶏しんけい/神使しんし」(神の使い)とされていて、伊勢神宮や石上いそのかみ神宮などでは、春日大社の鹿と同様に神使として放し飼いにされています(ご参照ご参照.pdf)。神社の鳥居ももともとは檜の白木素地のままで、神の使いである鶏の止まり木としてつくられていたとの説もあります(鶏は鳥目ゆえ夜には目が見えないので、安全のため暗くなると木に上って夜を過ごす)。

) (ご参照)に記されているように、常世の長鳴鳥は天照大神を天の岩戸から外へ出す際に、「カケコー、カケコー、カケコー」と三回鳴いたと言われていることに由来して、伊勢神宮の式年遷宮(20年ごとに社殿を更新し、新たな社殿に神体を移すこと)では、宮司が儀式の始まりに鶏の鳴き声の真似を3回唱える「鶏鳴三声けいめいさんせい」(この動画の2分35秒~2分50秒)を行ないます。

)ニワトリには夜明けを告げるだけでなく、闇の中に潜む怪しいものを察知し、鳴き声で追い払う役割も期待されていた。古墳に立てられた鶏形埴輪にも、被葬者の安らかな眠りを妨げる邪悪な魑魅魍魎ちみもうりょうの物音をいち早く察知し、鳴き声で朝が来たと錯覚させ、退散させるという役割があったのかもしれない。< 朝日新聞「関西遺産 石上いそのかみ神宮のニワトリ」(17.1.4)より>

)問題文中の「毎年元旦には神社の裏山から金の〇の吉兆の鳴き声が聞こえる」の裏山とは、龍田神社の北側にある龍田の神奈備かんなび(神の鎮座する山)とされる御廟山ごぼうやまのことですが、金の鶏が鳴くといわれる所は大和各地にあります⇒大和の傳説 金鶏の鳴く所(リンク)をご参照

庭つ鳥.pdf

 伊藤若冲は鶏の姿に生命の美しさを見ていたといわれます。下図は、若冲作「紫陽花双鶏図あじさいそうけいず」(部分)<「仙台市政だより」(2013年3月号)より>ですが、ここに描かれた鶏は鳳凰のごとくです。

若冲作「紫陽花双鶏図」.jpg

参考) 鶏など神使になった動物たち<リンク>

日本の建国神話

】(従来の)日本の建国神話とは、記紀(古事記・日本書紀)に記された神々による日本の建国と神武天皇の即位の物語である。

】(従来の)日本の建国神話の問題点

)<この記事ミラーより>・・・・・神話である以上、歴史的な出来事(史実)ではないにもかかわらず、建国神話は事実として教えられ、ときには暴走を伴ってきた過去がある。そして、その過去は「教育勅語」をめぐる議論がくすぶり続けるなど、いまに至るまで決して一掃されていない。他方、『古事記』『日本書紀』の研究は、それらが成立した八世紀の政治情勢が投影されていることをあきらかにし、神話学も他の神話との比較をおこない、日本の建国神話を特別視しない。こうしたなか、あらためて建国神話に、いかに向き合うことが可能であるのか・・・・・そもそも根拠が薄弱な建国神話が、建前上「事実」とされ、筆禍事件などの「波紋」を引き起こし、「矛盾」をもたらす・・・・・建国神話が教科書に・・・・・に記述され・・・・・うに学校で教えられた・・・・・そして、一九二六年には建国祭が開始され、満州事変後には建国神話が「排除の論理」となっていき、戦争動員に利用される・・・・・また、オリンピックや万博の誘致・開催にも建国神話が「活用」された・・・・・このとき、「史実でない話」を、史実を話題とする教室で、史実として教えなければならない矛盾に直面する教師・・・・・建国神話を「民主的な愛国行事」に活用しようという動き・・・・・戦時体制のもとで書かれた『国体の本義』や『臣民の道』・・・・・「紀元二千六百年祭」・・・・・建国神話の解釈や活用、その影響・・・・・建国神話の強行に、虚構でも人びとに通用するはずである、という為政者の愚民観を見いだす・・・・・。

この記事ミラーより> 天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)に降り(天孫降臨)、その曽孫である彦火火出見(ひこほほでみ)が紀元前660年に橿原宮で初代天皇(神武天皇)に即位した――『日本書紀』は以上のように建国の由来を語っている。王政復古の大号令から始まった明治政府、そして大日本帝国は『古事記』・『日本書紀』の建国神話を正統性の根拠とした。もちろん天孫降臨うんぬんがあくまで神話であることは、当時の日本人も理解していた。神話を歴史の教科書に載せるべきではないという意見が教育現場で公然と語られた。神武天皇の即位年や欠史八代の天皇の異様な長寿は、中国の史書の記述や考古学・人類学の成果と矛盾すると説く本も公刊された。しかし明治末年の南北朝正閏(せいじゅん)問題、大正期の社会主義思想の流入といった情勢の変化により、「国体観念を強烈に国民の頭に打ち込む事」が重視されるようになり、建国神話を歴史の授業で歴史的事実として教える方針が強化されていった。1935年の国体明徴声明、1937年の『国体の本義』刊行、そして1941年の国民学校制度と、国家主義・軍国主義の進展に伴って、この傾向に拍車がかかった・・・・・建国神話を押しつけられた国民の本音・・・・・小学校教員は「天から降りるつて落つこちはしませんか」と茶々を入れる児童に苦悩し、神話を無理に事実と教えればかえって教育不信を招きかねないと訴える。また、建国神話に民主主義や国際親善の起源を見出す人や、オリンピック・万国博覧会誘致のために建国神話を利用する者もいた。建国神話を史実と教える時代の再来はないだろう。だが「国史教育」は本質的に「国民」養成を目的としており、その意味では現代と戦前の間に大きな距離はないのである。

】【2】の問題点を踏まえるならば、従来の日本建国神話は、生駒の神話(生駒の神話<提要>)にとって代わられなければならない。

〇工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

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全文はこちら.pdf

(太字・番号・< >は引用者による/・・・・・は省略部分)

語句の定義>天皇存在を、武力王(軍事行使力)、行政王(行政権限行使力)、財政王(財政力)など現実社会的威力の面と、神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面とに類別しながら分析する<185頁>

皇室の特性> ・・・・・イギリス王室など西洋近代社会における王室の場合は、武力王・行政王・財政王(多くの私的財産を保持できた)として君臨していた過去を持っているのは普通だが、しかし、日本の皇室のように、神話世界(『古事記』『日本書紀』の高天原神話のような神話)に発する起源を語り、かつアニミズム系文化の呪術とも密接に結びついた過去を持っていて、しかもその神話王・呪術王の側面を1946年公布の民主主義憲法においてさえも継承して21世紀にまで維持している王室は無い<185頁>

万世一系>・・・・・「万世一系」は・・・・・明治政府による新たな“神話”の創出である<186頁>

男系継承・女系継承女性天皇> ・・・・・〈古代の古代〉(縄文・弥生時代、古墳時代)・・・・・の時期には、男系(父系)と女系(母系系)が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていて、王位継承にもその性格は及んでいたと思われる。それに対して、500年代くらいには大王位の男系優位観念が出始め、さらに・・・・・700年前後の時期の場合には、古代中国国家の皇帝制度の模倣によって男系優位観念が一段と強化されたと考えられる。国家体制の強化のためには先進国家唐の皇帝の、男系男子継承主義を模倣するのが得策と考えられたのであろう。しかしその場合でも、女性天皇は、四一代持統天皇以後も、元明天皇(四三代、即位708年)、元正天皇(四四代、即位716年)、孝謙天皇(四六代、即位749年)、称徳天皇(四八代、孝謙天皇が重祚、即位 765年)、明正天皇(一〇九代、即位1629年)、後桜町天皇(一一七代、即位1762年)と登場したのであるから、唐の皇帝制度の模倣が強化されたあとでも、 〈古代の古代 〉以来の、女性リーダー 違和感を感じない伝統は生き続けていた<186頁>・・・・・しかし、明治22年(1889) に大日本帝国憲法が発表され、同年同日に施行された旧皇室典範の第1条、に天皇の男系男子絶対主義が法律として明文化されたことによって、天皇位継承規定は、中国皇帝の男系男子絶対主義の模倣・・・・・ を完全に達成した<186頁>

象徴天皇制>・・・・・「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」と日本国憲法にあるその「象徴」は・・・・・「国民の安寧と幸せを祈ること」(「お言葉」、二〇一六年八月八日のビデオによる表明)、そして「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」(同)が、象徴であることの主要部分を占めることになる。しかし、それでもなお、天皇にその現代の象徴役を務める資格があるのは、天皇存在の根拠が「縄文・弥生時代など非常に古い段階の起源」にまで遡るものであり、それはやはり天皇が、縄文・弥生時代以来の、アニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった特性を、神話・祭祀・儀礼などの形で継承をし続けている存在だからなのである<191頁>

天皇祭祀・象徴天皇制・大嘗祭>・・・・・アニミズムや神話世界的な観念をもとにした呪術・儀礼行動(シャーマニズム)である天皇祭祀が、600、700 年代の〈古代の近代化〉の過程において、天皇位の超越性を根拠づけるのに不可欠なものとしてあらためて自覚された<191頁> ・・・・・ そしてそれら天皇祭祀は・・・・・1945年の敗戦以後の象徴天皇制においても継承された。その結果として、敗戦後の天皇の即位においても、天皇の超越性に根拠を与える最重要祭祀である大嘗祭を欠かすことができないのである<191頁> ・・・・・現憲法は 前文の冒頭に「国民主権」を掲げているし、第1章第1条で「主権の存する日本国民」としている一方で、それとは矛盾する、天皇は普通の国民とは異なる超越的に存在だということの根拠を潜在化させたのである。大嘗祭は、天皇が高天原のアマテラスオオミカミに発する聖なる存在であり、かつ縄文・弥生時代にまで遡るニイナメ(新嘗:引用者)儀礼の継承者であるという 本質を示す、アニミズム・シャーマニズム・神話性の強い祭儀である。新天皇の超越性を維持するには、即位の儀による法的正当性だけでなく、神話王・呪術王でもあることを示す大嘗祭が必要なのである<192頁>

女系継承を復活すべし>・・・・・敗戦後は民主主義及び平和主義の時代になったのだから、〈古代の古代〉以来ヤマトの王権に濃厚だった、女性原理の強い神話王・呪術王の側面を再評価すべきであった。と同時に、皇位の男系男子絶対主義も修正されるべきであり、〈古代の古代〉の女系併用の柔軟な継承形態に戻すべきであった<193頁>

大嘗祭は宗教に非ず>・・・・・新皇室典範・・・・・では・・・・・「宗教的活動」と見られる恐れがあったので、あえて大嘗祭への言及を避けた。しかし、明治期に国家神道化される以前の神道は、キリスト教やイスラム教のようないわゆる宗教とは異なり、教祖はおらず、体系的な競技または文字化された経典はなく、信者たちの組織である教団もなく、(敗戦以後は宗教法人・神社本庁という概括的な民間組織はあるが)、国や民族の違いを越えての布教活動もせず、 しかも万物に霊的存在を認める信仰であるという点からいえば、“前宗教 ”“半宗教” あるいは“宗教以前”とするのがよいだろう。その源はアニミズム・シャーマニズム・神話世界的な土俗文化にあり、それが600、700年代に、伊勢神宮を頂点とする神社体系として整備されたのである。大嘗祭の源の前段の源である原ニイナメ儀礼は土俗の分野に属していたのであるから、それを「超一級の無形民俗文化財」・・・・・として遇するのは可能なのである。とすれば、大嘗祭には現憲法の政教分離規定をそのまま適用するのではなく、むしろ新たに“無形民俗文化財保護”といった視点を取り入れるできであろう<193頁>・・・・・大嘗祭は、縄文・弥生時代にまで遡る「アニミズム系文化の基層」に属する。日本列島の基層文化の伝統とは、アニミズム(自然界のあらゆるものに超越的・霊的なものの存在を感じ取る観念・信仰)・シャーマニズム(アニミズムと神話的観念に基づく呪術体系)・ 神話世界性(人間にかかわるすべての現象の本質を、アニミズム的な神々の作り上げた秩序の枠組みの中の物語として象徴化して把握するもの) の反(あるいは非)リアリズム的文化(アニミズム・シャーマンズム・神話世界性をまとめてアニミズム系文化とする)とムラ社会性・島国文化性を主成分とする(儒教道徳や仏教思想も混じり込んでいるが)、合理主義とは反対方向の文化基盤の 伝統のことである<195頁>

万世一系>・・・・・「万世一系」については、唐の皇帝の男系男子継承主義を模倣してできた、おそらくは600年代以後に固まった天皇系譜の伝統であるから、外来の模倣文化という性格が濃厚である<200頁>

天皇存在の根拠たる自然と密着した土俗的なアニミズム系文化は、地球の自然環境崩壊に抗する思想の世界規模での「象徴」にもなりうる>
・・・・・天皇を“縄文・弥生時代以来の、アニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった特性を、神話・祭祀・儀礼などの形で継承し続けている存在”・・・・・とする発想・・・・・は天皇存在の根拠を“宗教以前”の土俗文化に置くものである。
ヤマト伝統の、自然と密着した土俗的なアニミズム系文化は、絶対神を頂点に置く一神教のような排他性を持たない。しかも、自然との共生と節度ある欲望というアニミズム系文化の特性(迷信・妄想に近い反合理性の部分は除いて)は、自然破壊への勢いを制御できない近代文明に抗するエコロジー思想と基盤を同じくしているという意味で、これからの地球の自然環境崩壊に抗する思想の、世界規模での「象徴」にもなりうるであろう。大嘗祭は、「縄文・弥生時代以来のアニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった、ヤマト的なるもの特性」を結晶させた儀礼であり、その大嘗祭によってこそ天皇はその超越性を保証される<200頁>

大嘗祭は、縄文・弥生の収穫儀礼の〈女〉が主体となる部分の痕跡を伝える>・・・・・最も貴重なのは、大嘗祭の、特に稲と造酒児(さかっこ)を主役とする前段であり、それは、古くは縄文時代晩期の粟の収穫儀礼や、弥生時代以来の水田稲作文化の収穫儀礼の、〈女〉が主体となる部分の痕跡を伝えているものである<201頁> 

<卑弥呼が創始した二重構造王権システムは象徴天皇制につながっている>・・・・・天武・持統天皇は、一方では、道教・仏教・儒教を積極的に移入するとともに、行政面では 律令体制も導入して、現実主義・実利主義的に〈国家〉体制を整備した。この、リアリズム(現実主義)の方向性と、神話・呪術的な反リアリズムの方向性がセットになる統治機構の源は、邪馬台(ヤマト)国の卑弥呼が創始した二重構造王権システムにあるのであり、それが天武・持統政権下では、行政性が太政官によって、宗教性が神祇官によって担われる二官八省システムとなった。この天武・持統天皇期にスタートした、実利性重視の行政組織と反リアリズム的アニミズム系文化の祭祀機関からなる統治機構が、敗戦後の民主国家の日本においてさえも象徴天皇制としてその基本構造を獲得していることを見据えなければ、現代日本社会の深層構造は把握できない<201頁>

カミ・神

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カミ・神隠れていて見えない「力」を古代人は「カミ」といった。それがのちに漢字の「神」が当てられ、人格化を通じて神格化されて神話の神となった。

(神話に登場の)

 ① 神々の総称いろいろ

 ②日本の神の一覧(リンク)

 ③ 日本の神々の特徴:〈人間をつくらない。既に人間のいる地上に降りてきて、人間のように暮らしはじめてしまう。そしていつの間にか天皇家の先祖の話とつながってしまう。神話と歴史のあいだに厳密な線が引けない。〉(日本語論より)

 ④「日本の神様 解剖図鑑」ミラー  左の文書より:日本には、物に宿る「付喪神(つくもかみ)」もおられる。

(民俗学の)「外部性」の力(民俗学でいう神/鬼)

     神を「感動や驚きを与えるもの、敬われ、恐れられるもの」と定義付けることもできる。

関連

 ①魂・霊・霊魂・霊的なもの・神・神的力(見えざる不思議な力)・物神

 ②スピノザ・マルクス・〈霊として見られるほかないような「力」〉・天皇制/アニミズム

女神信仰

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)・・・・・縄文時代にはじまり、弥生時代を経て古事記・日本書紀の神話へと続く女神信仰・・・・・日本文化の本質・・・・・アマテラス大御神という女神を天上の最高神として位置づける日本の王権神話は、ギリシャ神話をはじめ、バビロニア・北欧・古代エジプトなど、男神を支配神として残忍な殺戮(さつりく)をくり返す他の王権神話とは違う・・・・・その理由として、女神信仰の深層心理には、対立があったとしても「一方が他方を排除したり抹殺したりせず(略)共存し共生することができる文化」があるからではないか・・・・・・。<「女神信仰と日本神話」ミラーより>

近代天皇制国家におけるアマテラス

 定理〈 日本国憲法に触る者は破滅する/日本国憲法を憎悪するものは死者からの罰を受けることとなる)

この文は、憲法9条・憲法前文の()として記載されたものです。

神話は人々を一気に真実に導くアジテーションであるこの記事の【】ご参照)

)〈#アジア太平洋戦争等の戦争で殺された日本やアジア・欧米の死者への弔いを背景に制定された、殺戮を戒める #日本国憲法に触る(一方的に物的に関わる=暴力的に損ねようとする)者は破滅する〉という(法理的というより神話的な)定理は言い換えると、〈死者への弔いを背景に制定された日本国憲法を憎悪するものは戦死者を冒涜することとなり、死者からの罰を受けることとなる。〉という(法理的というより神話的な)定理となる、

)この定理が正しいと実証されるのは次の場合。

 ①改憲の是非を問う国民投票が強行され、改憲派が敗北し、#改憲阻止が勝利する。

 ②現在の日本において最も強硬に改憲を唱える「強硬団体」を背後に持つ元首相が死亡したぐらいで改憲を志向する勢いが弱化したという理由で、また、元首相を英雄化しその意志を受け継いで改憲しようというムードをつくることも目的とする国葬が強行されても国葬反対の声が大きい等のためその目論見がはずれたという理由で、など、何らかの理由で国民投票が実現できない。

 ③改憲4党が国民投票を強行をせんとするが、公明分裂などの理由で結局は断念。

60年安保闘争のとき全国から結集した政治運動勢力(野党、学生運動、戦闘的労働運動)が国会を包囲した。このとき、政府は自衛隊を出動させて鎮圧せんとしたが、政治運動勢力はそれを阻止した。国家権力の「武力的強制力」 の行使を政治運動勢力の「非権力(言論)闘争」 に支えられた広範な「非武力的強制力(立法府包囲・デモ等)」 が抑えたのである。こうして、違憲の安保条約の改定強行により憲法9条・憲法前文を暴力(強制)的に損ねた岸内閣は打倒された(崩壊した)。これは、このが正しいことを実証しているのはないか。

この定理は正しいと予測させる事象

 

神話・伝承・物語 

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ナラティブ(物語・語り・ストーリー・言説)もご参照

13)【23.8.17】<神話は反転の叡智時代が揺れ動くとき、暗夜の灯のように神話が思い出され新たな神話が紡ぎだされる。どの民族にも、どの国にもそれぞれに神話があるのは、神話が単なる伝承ではなく人間の存在の根源にかかわる記憶でもあるからであろう。「神話なき民は死んだに等しい」といったジョルジュ・デュメジルの言葉の重さが思い返される・・・・・《神話思考》(引用者:「神話理論」「インド=ヨーロッパ語族、ユーラシア神話、ギリシア・ローマ神話」「日本神話」の論考のこと) は、世界がコロナ禍によって翻弄されているいま、縒れる(引用者:よれる/よじれること)狡智としてではなく、反転の叡智として捉え返されるにちがいない。<「神話思考Ⅲ」ミラーより/太字は引用者による> 

)神話(Wikipedia)は、人間にとって大切なもの(真実・道しるべなど)を誰にでも分かりやすく教えたり、後世に伝えるために成立する

 ④<神話が「道しるべ」になっている例2> ・・・・・多数決でも 変えられない憲法はなぜ正当化できるのだろうか。しばしば、例えに出されるのはホメロスの「オデユセイア」に登場する魔女セイレンの誘惑に抗したオデユセイアの話だ。セイレンの誘惑から部下と自身を守るために彼は自分の身体をマストに縛り付けた。自分が誘惑に負けて非理性的な行動をとりそうな場合、あらかじめ自己の行動の幅を狭めておくことは合理的だ・・・・・。<ニュースの本棚「憲法改正論」(朝日新聞 13.4.28)より/太字は引用者による>

 ③人類の文明は森の伐採で誕生した。一方、日本の文化は森の文化。.pdfご参照

 ②<神話が「道しるべ」になっている例1>・・・・・マレーシア・ボルネオ島に住む狩猟採集民・・・・・(引用者:の)プナンは気前の良さを何より大切にする。贈り物であっても、それを欲しいと言われたら惜しみなく譲る。獲物を捕らえたハンターが分け前を多く取ることはない。獲物の運搬や解体など、何らかの形で狩りに参加したのなら、誰もが平等に肉の分け前に与(あずか)る。尊敬されるリーダーは、高級時計をちらつかせる人物ではなく、何も残らないほど分け与え続ける人物だ。なぜここまで所有欲がないのだろう。それは、かれらが自然な人々だから?そうではない・・・・・プナンの子どもには、お菓子を独り占めしたいなど、明確な所有欲が見られるからだ。しかしプナンは、その所有欲を親のしつけや、独占を戒める神話などを通じ、徹底的に刈り取っていく。プナンの気前の良さは、自然の開花ではない。むしろ文化にまみれる中で、ようやく育まれる産物なのだ・・・・・。<この記事ミラーより/太字は引用者による>

 ①「生駒の神話」が後世に伝えているものとは、日本というクニの出発点である縄文時代から弥生時代への移行期での出来事である(生駒の神話<提要>ご参照)。

〈より根源的なところで人間を動かしているのは歴史でも政治的イデオロギーでもなく、古代から語り継がれてきた神話であり、民間伝承である。〉(この記事ミラーより)

   これによると、憲法9条を制定せしめたのは、大和王権によって「神武東征神話」に改ざんされた形で日本人に語り継がれてきた生駒を舞台とする神話(生駒の神話)である。<憲法9条・生駒の神話・ウクライナ侵略戦争、そして、縁起の法より>

〈現代のさまざまな物事が、おそらく無意識の内に神話とつながっている。 〉(この記事ミラーより)

神話伝承など言い伝えをもとにイマジネーションを加えることで真実・真理が見えてくる。ポスト真実(post-truth<ポスト・ツゥルース>/世論の形成において事実や真実が、感情や個人的信念への訴えかけより影響力に欠けている状況/事実や真実が重視されなくなった時代)の時代を突破する鍵は神話伝承にある。

物語、神話につながる.pdf

5ー1)人類の歴史を描いた「サピエンス全史」や人類の行く末を占った「ホモ・デウス」を著した世界的に著名な歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、この記事ミラーの中で、「大多数の人にとって世界を理解するのは『物語』を通じてです。事実や統計に基づいて、ではありません」といっている。

5ー2)・・・・・人の共同体は、大きくなるほど、「」で結びついている。共同の夢。共同の幻想と言ってもいい。それを「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリは「フィクション革命」と呼んだ。これにより、人は、なんの血縁もない人と「ただの理念」のために、血を流せるようにまでなった・・・・・。<この記事ミラーより/太字は引用者による>

現代人にもプログラムされている神話的思考

   ・・・・・世界の歴史を考えた時、ヨーロッパはいち早く合理的で科学的なものの考え方に突入した地域です。けれども、そうしたヨーロッパやアメリカでも医科大学のエンブレムにはみんな蛇を使っている・・・・・こんな近代医療が発達しても、人を救うお医者さんだとか製薬会社といったところのマークにはほぼ100%と言ってもいいほど、蛇が使われています。日本の医科大学も・・・・・ほぼことごとく蛇のマークを使っています。それは蛇が死なないものの存在だからです。これだけ科学が発達したとしても、私たちは最後に月、水、あるいは蛇といった死なないものに頼っているんだということを知るべき・・・・・日本に限らず、世界中の人たちがまさに月、水、蛇といった神話的世界観の中でまだまだ生きている・・・・・神話的世界観というのは、自分たちホモ・サピエンスの脳の中に遺伝的にプログラミングされたもの・・・・・縄文人は敢えて合理的なものの考え方をしないで、神話的思考をして暮らそうと決めた人たち・・・・・人間が人間であるためには合理的思考だけではダメ・・・・・神話的思考とちゃんとバランスを取ることが、何よりも私たち人類にとっては必要・・・・・この先、人類が滅亡するとしたら多分間違いなく神話的思考をなくした時・・・・・。

)〈世界の民族が伝えてきた「神話・伝説」こそは「知」と「希望」の宝庫である。〉〈神話伝説とは現代人が求める普遍的な「闇から光へと突破するための知の宝庫」〉<この記事.pdfより>

)・・・・・石牟礼の能作品『不知火』『沖宮』について、水俣の転生に関してどうすれば患者さんたちの魂がひきあげられるか考え抜いたあげく、「辿(たど)り着いたのがこの、神話的な能の世界であった」・・・・・。<この記事ミラーより/太字は引用者による>

)・・・・・より根源的なところで人間を動かしているのは・・・・・神話であり・・・・・現代のさまざまな物事が、おそらく無意識の内に神話とつながっている・・・・・。<憲法9条・憲法前文より >

10)(8)のことに人々(特に若い人)が気づき始めたことが、単なる物語りではなく、「神話を背景とした物語」あるいは「神話的な物語」をヒットさせている。以下、そのことが分かる事柄。

 ①「君の名は。」新海誠監督が凱旋講演会ミラー

 ②『鬼滅の刃』『天気の子』のルーツは神話にあった?ミラー

 ③これは物語ではなく神話であるーー宮台真司が『進撃の巨人』を称賛する理由ミラー

 ④「風の谷のナウシカ 」のアシタカがナガスネヒコ、「千と千尋の神隠し 」のハク(ニギハヤミコハクヌシ)がニギハヤヒ、をそれぞれモデルにしているとされている。

11)・・・・・流れが速く、急に深くなる川の怖さは、いくら注意してもしすぎることはない。海水浴と違い、川遊びはこの国で昔から行われてきた。各地にあるかっぱ伝説も関係があるのだろう。「水中にいるかっぱに、引っ張り込まれる」という恐ろしい言い伝えが、多くの事故を未然に防いできたのかもしれない・・・・・。<この記事ミラーより/太字は引用者による>

12この世界はいかにして形作られたのか。 人はいつ誕生したのか。 死とは何か。 ビッグバンも進化論も法医学も登場する前、人が文字すら持たなかった時代から、これらの問いに答えてきた物語。それが神話だ・・・・・神話とは人を結びつけてきた物語・・・・・人々が集団として結束するために、共通の認識や価値観を持つ必要があった。文字が普及する以前に、神話はわかりやすく、記憶しやすい伝達方法だった・・・・・ただし神話の訴求力は好ましいものとは限らない。為政者が恣意(しい)的に用いる危険があり、特に神話が歴史的事実として語られるときが危うい・・・・・神話の研究は、神話の没落とともに始まった・・・・・人が神話を信じなくなり、神話と距離ができて初めて、神話は研究対象になった。逆を言えば神話を妄信しているとき、人はそれが神話だと気づけない・・・・・。~この文ミラーより~

(*)参考・・・示唆に富む資料・言葉 

生駒神話と憲法9条

 生駒神話が描く国譲り神話は、世界に類を見ない「戦いを否定する神話」であり、侵略についての解決の道を示している神話といえます(生駒の神話と現代.pdfご参照)。生駒神話に見られる日本人の、何より命を大切にし、知恵により争いを解決せんとする「戦いを忌避する精神」は、世俗権力が戦い・戦争を繰り返す時代には抑え込まれてきましたが、多くの内外の人々が殺戮された先のアジア太平洋戦争を経てよみがえり、戦後日本人の集団的無意識となりました(戦後日本人の戦争忌避精神は集団的無意識ご参照)。この精神が、憲法9条を日本に根付かせ、戦後の改憲(憲法9条廃止)の動きを抑えてきました。また、戦争法制定に際しての広汎な反対運動を引き起こしました。2015年9月19に戦争法は強行制定されてしまいましたが、この精神の集団的無意識は粉砕されたわけではなく、いずれ、「何より命を大切にし、知恵により争いを解決せんとする戦いを忌避する精神」の集団的無意識は戦争法を粉砕するでしょう。

旧くさえ坂駅  

クサカ(草香・日下)・孔舎衙(クサカ)の坂・草香山(饒速日山)に戻る

神武東征伝承に記載されている古戦場の「孔舎坂(クサエのさか)」の衛は衙の誤字といわれている。従って「孔舎坂(クサカのさか)」が正しく、駅名にはかつて孔舎衛坂駅はあったが、実際にはクサエの坂という地名は存在しない。<進藤 治「縄文言語からのアプローチ 『長髄彦』の実像」.pdfご参照>

   1211近畿日本鉄道も混乱していた⇒「孔舎坂」表記の切符<→(このページより引用)>と「孔舎坂」表記の切符<→(このページより引用)>の2つを発行していた(読みは、両方とも「くさえざか」)。

)いろいろな意味で興味深い駅。

 ①孔舎坂(正しくは孔舎坂)は生駒の神話の舞台。

 ②くさえざか駅は孔舎坂駅とも孔舎坂駅とも表記されたが、もともとは日下(くさか)駅で、鷲尾駅と改称され、最終的にくさえ坂駅となった。もともとは日下(くさか)駅だったのだから、最終的にも「孔舎(くさか)坂駅」にすべきだったのだが、なぜか、そうはならなかった。なお、近隣の学校名は、孔舎小学校・孔舎東小学校・孔舎中学校。

 ③この駅の名称も変遷があるが、駅自体の変遷にも歴史がある・・・ご参照ミラー<リンク>

 ④この駅は、生駒山越直行の道(旧くさえ坂駅~生駒駅)の西の出発点。

憲法9条・憲法前文<移動しました>  

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イワレヒコ  

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〇(改ざんされた神話たる)神武東征

弁証法で読み解く「(ナガスネヒコ・イワレヒコ・ニギハヤヒの三者を主体とする)天皇制の起源」「(ナガスネヒコ・ニギハヤヒに導かれた)イワレヒコの高貴な精神の獲得」